電力会社の「我が世の春」を支えた勝俣元会長

「他電力は、東電に政治周りを任せておけば、災害や自過失の事故でも起きない限り、決して赤字にならない『総括原価方式』(かかった全ての費用に適正利潤を上乗せして公共料金を決定する方式)の巨大な船に揺られながら、我が世の春を謳歌できた」と話すのは、元東電幹部だ。「そしてその圧倒的な資金力、人的リソースを駆使する中心には、カリスマ的経営者、勝俣恒久元会長がいたのです」。

しかし、その勝俣氏が1F事故で強大な権力を失ったのだ。経産官僚にとっては電力業界に対する影響力を行使する千載一遇のチャンス到来だった。

1F事故を契機に、賠償の矢面に立つのを回避し、東電を事実上支配下に置き、電力業界の再編を促すなど影響力を維持する。しかも、1F事故の原因分析と反省、訴訟対応などは経産省から分離した原子力規制委員会・規制庁に担わせ、残った者たちは再び統治する側に回り、原子力行政を推進する。ものの見事に立ち回ったものである。

デキる人材が次々と去り、東電は骨抜きに

しかし、東電という巨大企業から「不満分子」を一掃したことが、結果として致命傷になった。「不満分子」たちの中には、彼らなりに1F事故を真摯に反省し、危機感を持ち、改善し生まれ変わろうと考える有意の人材が多く含まれていた。しかし、そうした人々の多くが左遷され、あるいは退職し、東電は骨抜きにされ力を失った。

本来なら収支回復の柱、組織存続の最後の砦ともいえる柏崎刈羽原発で、再稼働が目と鼻の先となった矢先に工事未了が次々と発覚し、核物質防護規定上の信じられない違反が見つかったのも、こうした経産省による東電支配と大いに関係ありと筆者は考える。

一方で、経産省から強制分離された「原子力規制庁」にも有意の人材はいる。科学者・技術者集団である原子力規制委員会の指導の下で、1F事故を真摯に反省し、二度と深刻な原発事故は繰り返さないという気概も形作られつつある。法令に基づいた審査は厳格であり、10年を経てもなお、合格した原発が17基に止まるのも厳正な審査ゆえである。

経産省から見れば、支配した組織は骨抜きになり、分離した人々は法令を厳格に順守し、思い通りにならない。あくまで結果でしかないが、企図した再稼働は進まず、2030年の目標とした最大22パーセントという原子力の電源構成比率達成はどだい、無理な話である。

目論見は外れたといっていいが、ただ「失敗した」だけでは済まないようだ。経産省主導で二度、大幅に増額した末、当初の4倍以上に膨れ上がった1F事故収束資金22兆円だが、これでも全然、全くもって足りそうもないのである。