経産省はわざと過小に見積もったに違いない

なぜ倍々レースとなったのか。経産省などの試算は「出鱈目」ではなく、わかっていた上で少なく見積もっていたと筆者は確信している。

過小に過小に見積もって、後から大きく増やすという手法。というのも、いきなり大きな額を示したら、金融機関から融資を取り付けることが難しくなり、東電が破綻しかねない。小出しにするのもある程度は致し方ない部分もあっただろうが、それにしても、政府の対応を「不誠実」だと思うのは、筆者だけではあるまい。

だが、筆者も倍々で膨らんでいくプロセスを、疑問を感じつつも、そのまま報道してきた一人である。言い訳になるが、当時、取材で得た「廃炉」「賠償」そして「除染・中間貯蔵」の数字を、報道機関として検証したり、反証する方法は見当たらなかった。とはいえ、官僚や政治家からその数字を取ることに血道を上げ、報道してきた筆者も、批判されても仕方がない。

あの時、どうすればよかったのか、政府側の数字を、どのように検証して報道すべきだったのか、今も考え続けている。大きなことを言うつもりはないが、その反省が『「廃炉」という幻想』を書くモチベーションの一つにもなった。

経産省が東電を破綻させたくなかったワケ

さて、では経産省はどうして東電を破綻させたくなかったのか。それは、1つには経産省が(東電の代わりに)賠償の矢面に立たされるのを嫌ったからである。これは、複数の元経産官僚、財務官僚、政治家も認めた事実である。水俣病発覚直後の厚生省(当時)、そしてそれを引き継いだ環境省のように、“泥沼”とも表現される長期の裁判対応を含む賠償は「やりたくない」というのが本音だったのだろう。

廃炉作業が進む東京電力福島第1原子力発電所。左から1、2、3、4号機=2021年2月14日、福島県
写真=時事通信フォト
廃炉作業が進む東京電力福島第1原子力発電所。左から1、2、3、4号機=2021年2月14日、福島県

2つ目には、潰れかかった東電の過半の株式を購入=出資することで東電を実質支配し、言うことを聞いてこなかった電力業界を間接的にコントロールしたいという狙いもあった。古くは1990年代から発送電分離など「電力改革」を企図してきた経産官僚たちだが、そのたびに強大な力を持つ電力業界と永田町に潰され、甚だしくは左遷の憂き目に遭ってきたのだ。

ちなみに、大手電力会社が作るプレッシャー・グループ「電気事業連合会」(通称・電事連)で、3.11前まで永田町との窓口を一挙に担っていたのは東電だった。