まるでフィクションのような面白さの漂流記

76トン、2本マストのスクーナー型帆船、というから船としては小型、かわいいスケールだ。この船が座礁して太平洋のちっぽけな無人島に漂着する。そうして厳しくもすばらしい16人のおじさんおよび青年らのタタカイがはじまるのだ。

明治32年5月。ミッドウェイ諸島に近い(といってもだいぶ離れている)パール・エンド・ハーミーズで座礁、という記述がある。かれらが漂着した小さな島から銅板にクギでそう書きこみ流木に釘で打ちつけて流した、とある。

この船が座礁して漂着したのだが、その船の主な目的は漁業調査だったらしい。作業の主軸はサメとウミガメと海鳥の捕獲。その帰途に遭難したのだ。巨大な珊瑚サンゴが連なる海で小型の帆船が座礁すると悲惨である。投錨とうびょうしたいかりは分断され固い珊瑚の海に弄ばれて半壊状態で叩きつけられてしまう。半壊した船から比較的大きな岩に太綱をさしわたし、独特の方法で16人はなんとか船から脱出し、ひっぱり出した工作道具や生活道具、わずかに回収した食料などを岸にまで運ぶ。このへんからすでにこの漂流記の過激な展開に心を奪われる。あとはおわりまで一気読みだ。あまりの面白さにこれはフィクションかもしれない、とも思った。島の名前も海域も何も書いていなかったのだ。

読みおわって「おもしろかったあ」とよろこんでいるときに新潮社のグラフィック雑誌で日本海の島に取材にいくことになっていた。編集者、カメラマンなど4人組である。

道々ぼくが面白い本だった! と力をこめていうものだから同行編集者の1人が興味を持った。

サウジ君(あだ名)である。本当はショウジ君というのだが父親の仕事の関係でサウジアラビアで育った。だからということか思考関係がちょっとエキセントリックだ。たとえば、日本海の離島のしけた掘っ建て小屋の観光ラーメン屋のおばあちゃんに、メニューにある「海鮮ラーメン850円と、スペシャルラーメン750円のグレードはどう違うのですか」などと真顔で質問している。

「バカかおめえ」
「島から一度も出たことのないようなおばあちゃんに、グレードとはなんという」

編集部の先輩に呆れられていた。

どっちのグレードが上か忘れたが、ラーメンを食い終るとサウジ君はぼくがしきりに面白がっていたその本のコピーをぼくに読ませて下さい! と力づよく言うのだった。

須川邦彦『無人島に生きる十六人』(新潮文庫)
須川邦彦『無人島に生きる十六人』(新潮文庫)

そのようなやりとりをすっかり忘れていたころ、サウジ君から電話があり、

「あの謎の漂流船の乗組員が16人そろって日本に帰還した、という古い新聞を見つけました。それをもとに著者の遺族とも連絡をとれるかもしれません」

そういう知らせが入ったのだった。でかしたグレード・サウジ君。

それから数カ月後だったろうか、またサウジ君から連絡があって、

「あの本を新潮社で文庫として再生できることになりました。勿論講談社にも連絡しました。したがってその解説を書いてください」

16人のおじさんと青年の暑い島での辛く不安でハラペコで、あるときは太平洋の孤島でしか味わえない歓喜の日々の概略をぼくは喜んで書きはじめた。