ロシアがウクライナへの侵攻を始めた。戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんは「第二次世界大戦を巡っては、大国目線の歴史記述で周辺国の被害が無視されてきた。今回もロシアやアメリカの動向ばかりが注目されるが、戦争に巻き込まれるウクライナや周辺国の視点を忘れてはいけない」という――。

※本稿は、山崎雅弘『第二次世界大戦秘史』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

「祖国防衛者の日」に無名戦士の墓で花輪を捧げる式典に出席するロシアのウラジーミル・プーチン大統領=2022年2月23日、ロシア・モスクワ
写真=EPA/時事通信フォト
「祖国防衛の日」の祝賀会に出席するウラジーミル・プーチン大統領=2022年2月23日、ロシア・モスクワ

第二次大戦史で無視されてきた周辺国の兵士たち

第二次世界大戦において、一体どれだけの兵士が戦ったのか?

信頼に足る公式統計が全ての国で揃っているわけではなく、専門家による概算でも数字に多少の開きがありますが、多数の著作を持つイギリスの戦史家ジョン・エリスが1993年に上梓した“World War II: The Encyclopedia of Facts and Figures”(The Military Book Club)によれば、主な参戦国の従軍兵士の数は次のようなものでした。

ソ連:約3,000万人。ドイツ:約1,790万人。フランス:約460万人。この三大国だけで、すでに5,250万人に達しています。アメリカとイギリスは、それぞれ約1,635万人と約590万人ですが、これはヨーロッパとアジア/太平洋、大西洋の各戦域を合わせた数です。イタリアは、この本では「不明」となっています。

周辺国では、ポーランドが約149万人、ベルギーが約65万人、オランダが約40万人などで、大国と比べると人数が一桁違っています。しかし、各国の人口に照らしてみれば、これらの周辺国の参戦兵士が「少なかった」わけではなく、むしろ兵力面で圧倒的な優位を持つ大国の侵略を受けた周辺国兵士の境遇は、大国の軍に属する兵士のそれよりも苛酷だったであろうことは容易に想像できます。

にもかかわらず、第二次大戦史の書物では、大国の動向ばかりが記述され、周辺国兵士の戦いは、脇に追いやられたり、無視されることがほとんどでした。兵士一人の命の重さは、大国でも周辺国でも変わらないはずですが、周辺国の兵士や市民が第二次大戦で繰り広げた広義の「闘い」については、あまり関心が払われてこなかったように思います。

プーチン大統領が行ってきた「ソ連時代の肯定」

今年は、第二次大戦の勃発から83年、終戦から77年目に当たりますが、この戦争の解釈をめぐる問題は、今もヨーロッパの政治に影を落としています。

2021年7月1日、ロシアのプーチン大統領は、第二次大戦におけるソ連の行為を、公にナチス・ドイツと同一視することを禁じる法改正案に署名しました。

この法改正案は、プーチン大統領自身が主導して同年5月にロシアの上下両院議会に提出されたもので、第二次大戦中にソ連の指導部(主に最高指導者のスターリン)やソ連軍が行った各種の決定事項と行動を、ナチス・ドイツやヨーロッパの枢軸国(ルーマニアやハンガリーなど)のそれと同一視することを禁じるという内容でした。

プーチンは、連続3選を禁じる法律に従って「首相」に一歩退いた4年間を間に挟む形で、2000年から2008年と2012年から現在までの計17年間、ロシアの大統領という地位にあります。この任期中、彼は国内の様々な分野で重要な制度変更を行いましたが、その中には「ソ連時代の肯定」を意味する変化も多く含まれていました。