大戦のきっかけはナチス・ドイツとソ連だったはずが…

例えば、2013年には学校用の歴史教科書を国が統一する方針を打ち出し、政権に近い専門家に「指導要領」を策定させましたが、その中では「愛国心の養成」が歴史教育の主目的と位置づけられ、ソ連時代の「負の歴史」を抹消する「歴史の修整」が、幅広い分野で行われました。

第二次大戦に関する記述では、1939年にヒトラーとスターリンが取り交わした「独ソ不可侵条約」に伴う「独ソのポーランド分割併合」に関する記述が無くなり、1941年6月の「独ソ開戦」から戦争が始まったかのような説明へと書き換えられました。

現在の国際社会では、第二次大戦の勃発はドイツ軍がポーランドに北と西、南から侵攻した1939年9月1日とする認識が一般的ですが、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーがポーランドへの侵攻を最終的に決断したのは、その9日前の8月23日にドイツとソ連の両国政府が調印した「独ソ不可侵条約」であったとされています。

それゆえ、ポーランドを含むヨーロッパ諸国では、第二次大戦を実質的に始めたのは、ナチス・ドイツとソ連だったという認識が根強く存在しています。

プーチンは、そうした国際的な常識を打ち消して、現在のロシア連邦の前身であるソ連が第二次大戦の戦前と戦中に行った、ナチス・ドイツとの協力や近隣諸国への侵略的行動を否認する政策を続けています。

当時のソ連を擁護し正当化する「歴史修正」は、自国民の「愛国心」を鼓舞する材料として広く活用できるからです。

ソビエトロシアの赤軍軍兵士
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バルト三国は独ソによる侵略を「歴史的事実」に

一方、第二次大戦勃発後にソ連へと併合され、1941年6月の独ソ開戦後はドイツに侵略・併合されたバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)では、ソ連時代に建てられた戦争関連の記念碑を撤去するなど、独ソ両国による自国への侵略的行動を改めて「歴史的事実」として確認する動きが進められています。

この事例が示すように、従来の大国中心の第二次大戦観では、望まずして戦争に巻き込まれた周辺国とその国民を無視したり、周辺国を「大国の争奪対象」と見なす視点に陥る危険性があるように思います。歴史を学ぶ者、とりわけ学生が、第二次大戦のような大規模戦争を「大国の目線」だけで理解することの弊害は、無視できないものです。

そして、同種の問題は、ヨーロッパだけでなく、第二次大戦のアジア/太平洋戦域についても存在しているように感じます。先の戦争で日本軍が行ったのは、アメリカ軍やイギリス軍との戦闘だけではありませんでしたが、大国間の戦いのみに単純化した書物を読んでも、戦争に巻き込まれた周辺国や植民地の苦難や悲哀は理解できません。