「隣町にもあるから」という理由で作られる箱モノ

かつてイギリス首相だったウィンストン・チャーチルは、こうした衆愚政治を批判し、「民主主義は最悪の政治形態である」と述べている。

衆愚政治は、決められることをいつまでも決められず、いつの間にか何もかもが手遅れになり、あとから何とかしようとしても、どうにもならない状態がぐるぐると空回りした状態になる。それは過疎地域の現実そのものだった。

過疎地域の権威者たちは、生産性のない公園をつくれと言ってみたり、箱モノをつくれと言ってみたりするが、つくったらつくったで、それらは放置されていた。たとえば、日本庭園や自然公園などの行楽施設、野外プールやテニス場などのスポーツ施設、遊具場やミニゴルフ場などの娯楽施設、博物館や美術館などの文化施設である。

色鮮やかな遊具
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それらは有効活用されることなく点在し、廃墟化している施設もたくさんあった。いずれ放置されるのはつくる前から分かっているにもかかわらず、建設行為そのものを目的として同じモノをつくっていた。「隣の○○町がつくったから、私たちの△△町にもつくるべきだ」といった具合である。

ぐるぐると空回りした過疎地域の現実をどこまで受け入れて、どこから受け入れないのかといった線引きはとても難しく、都心から過疎地域に移住した者によくある悩みでもある。

中国大陸にあるような大きな格差は日本にも存在する

都心と過疎地域の経済格差はどれくらいあるだろうか。その差はおおむね2倍である。たとえば、私が東京で働いていたときの時給単価は、おおむね1300円から1600円程だった。それとまったく同じ仕事を過疎地域でやろうとしたら、鹿児島県の最低賃金である790円(当時)だった。そのうえ交通費の支給もない。つまり、同じ仕事であるにもかかわらず二倍程の賃金格差があった。

都心で暮らしている者は、中国大陸にあるような大きな格差が日本にはないと考えている節がある。しかし現実は違う。

たとえば、都心ではブラック企業に対して批判的な報道がされている。批判的な報道そのものは大いに結構なのだが、過疎地域で暮らしている者としては違和感があった。なぜなら過疎地域ではブラック企業がごくごく当たり前だったからだ。

生産性が低い中で切り詰められるのは人件費である。正規雇用の社員はサービス残業やサービス出勤を強いられるのが常であり、有給休暇を申請すると嫌な顔をされるため、消化せずに退職する者がほとんどだった。

滅私奉公の精神が素晴らしいとされている地域の中で、人びとはそれを当たり前のこととして受け止めていた。そこでいくら働き方改革を訴えたところで、それは日本とは違うヨーロッパなどの遠い国で起こっていることであり、別の世界の出来事といった感覚だった。