看護師に本当に求められるもの

中村が入職してしばらく、とりだい病院は『産婦人科』として“産科”と“婦人科”が同じ病棟だった。出産を扱う産科はおおむね明るく、成人女性の病気を扱う婦人科はやや陰がある。産婦人科の看護師は、光と陰の世界を行き来することになる。

あるとき、中村はがんを患っている患者を担当した。

「なぜ自分ががんにならなくてはならないのかと苛々している。その怒りをどうにかしてあげたいんだけれど、若かったからどうしていいのか分からない。頑張れなんて絶対にいえない。だって患者さんは頑張っているんです。簡単な言葉を掛けることはできない。

怖いな、そばに行きたくないなって、思ったこともあります。今となってみたら、何も言わなくていいんです。そばにいて、あなたのことをすごく心配していますという気持ちが伝わればいい。沈黙は苦しいけれど、患者さんが話をしたいと思ったときに、何も言わずに聞けばいい」

のちに産科は、総合周産期母子医療センターとして独立、婦人科は泌尿器科との混合病棟となった。助産師である中村は、婦人科の現場に関わらなくなったが、看護師に求められるものは何かと自問した時間は貴重だったと振り返る。

「医師は忙しい。そしてどうやって治療すればいいのかを考え続けています。看護師や助産師は24時間交替制勤務で、いつでも患者さんのそばにいるのが役割。患者さんの話を聞いて、支えてあげる、それも看護師の大切な仕事」

出向で気づいたとりだい病院の看護の質

2004年4月にとりだい看護師長、2009年4月に副看護部長となった。転機となったのは、2014年6月のことだ。岡山県の津山第一病院の看護部長として一年間“出向”したのだ。

「副部長の出向どころか、師長、看護師でも前例がなかった。そのとき病院長だった北野博也先生が、津山第一病院の理事長とお知り合いでした。看護部長が退職してしまい、人がいない。看護の質を上げるために誰か派遣して欲しいという話だったようです」

出向の話をもらったとき、中村は絶句した。米子と津山の直線距離は約百キロ。距離は近いものの、中国山脈が立ち塞がっている。車で行くことになるだろうが、そもそも自分は高速道路を一人で運転したことがない。

「北野先生からもし看護部長を目指すのであれば、視野を広げるために地域の病院を知っていた方がいいと言われました。すでに結婚していましたので、夫と子どもに一年間だけ、津山に行ってもいいかと聞いたら、ああ、そうなの、どうぞって。泣く泣く行くことにしました」

津山第一病院に赴任すると、とりだい病院の良さを改めて思い知ることになった。

「とりだい病院では、まずは病院の目標、あるべき姿が提示されています。看護部はその方針に従って、年間の目標を立てます。なるべく具体的に、目標を数値化することが大前提です。

これを受けて、各部署、そして個人の看護師がそれぞれの目標を作って、その評価をする。それがなかった。津山第一病院で作成しているものは数値は入っておらず、評価は感想文のようなものでした」

津山第一病院の看護師は約130人。外部から人を呼んで研修を行おうとすると、勤務時間内は忙しい、勤務後はすぐに帰りたいという反応だった。

「私にすれば、じゃあいつ勉強するんだっていう話です。研修などなくてもいいですって感じでした。ああ、うち(とりだい病院)のスタッフは良く勉強するんだって改めて思いました」

ただ、話を聞いてみると、向上心を持っている看護師は少なくなかった。患者のために動く、自らを高めようという空気が醸成されていなかったのだ。