日本の白瀬隊も漁船で南極大陸に挑戦していた

アムンセン隊の探検船フラム号もスコット隊の探検船テラノバ号も、両隊がデポ作戦をやっているあいだに、2月中ごろロス海を去った。次の夏がくるまで、もう南極大陸にはイギリス隊25人(ほかに6人の別動隊)とノルウェー隊9人が残るだけとなる。

同時期に南極大陸へのりこんだ日本の白瀬のぶ中尉の率いる南極探検隊は、流氷域を突破できなかったため、3月14日に南緯74度14分から引き返してオーストラリアへ向かった。5月1日にシドニー港にはいって、次の夏に再度挑戦をこころみるべく待機する。貧弱な漁船で、また極地探検の歴史もない当時の日本隊が、アムンセンやスコットの大探検隊に対抗したのであるから、かなわぬ相手だったとはいえ、やはり白瀬は大した人物だったといえよう。

さて、冬の闇を迎える前の両隊のデポ作戦はこうして終わったが、この段階での勝敗はもう明らかである。スコット隊が大人数で長時間かけて1回だけ、しかも80度までも到達できなかったのに、アムンセン隊は少人数で3回も往復し、82度まで進んで、デポした量もスコット隊の3倍になる。この大きな差はどこからきているのだろうか。

アムンセン隊がエスキモー犬を主力にした理由

直接的には、スコットが馬を主力にし、アムンセンが犬を主力にした点にあるだろう。いくら寒い地方出身の小型馬(ポニー)だといっても、吹雪の中で雪にくるまって平気で眠るエスキモー犬にはかなわないし、危険な氷のクレバス(裂け目)も犬はよく予知し、落ちても軽いので引き綱でぶら下がって助かる。それは同時に、人間の落下を事前に防ぐという重大な役割をも果たす。

氷河の裂け目
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馬は大量のマグサを運んでゆく必要があるのに、犬はアザラシやペンギンなどで現地調達ができ、いざとなれば犬の肉自体がエサにされる。実際、アムンセンの第2次デポ作戦の帰りには、死んで埋葬された犬の死体を、夜中に他の犬たちが掘りだし、食べる順位をあらそって大乱闘になるほどだった。

反対にスコット隊のデポ作戦では、旅に出た8頭の馬のうち3頭を失い、さらにそのあとマクマード湾の海氷上を移動中にまた3頭を失って、わずか2頭が生き残るだけとなる。基地の1頭も死んで、全体としては残った馬が10頭だった。