レースで鍵となる食糧貯蔵所「デポ」づくり
イギリス・ノルウェー両隊による南極大陸での大レースは、「デポ作戦」によって本格的に始まったといえよう。
「デポ」という言葉は、フランス語で「貯蔵所」を意味し、日本でも登山界でよく使われている。極点まで約1500キロの長い道のりを往復するための食糧や燃料は、全体では大変な量になる。一度にすべてを積みこんで極点へ旅立つことはとてもできない。
そこで本隊が出発する前に、途中に食料をあらかじめ点々と配置しておけば、それをたよりに往復することができる。そのようにして配置された食糧貯蔵所を「デポ」と略称した。またこうした方法はヒマラヤ8000メートル級の初期の大登山でも応用されて「極地法」と呼ばれた。
これから冬を越して、次の夏が来たらできるだけ早く本隊が出発するためには、冬のくる前にこのデポをつくっておく必要がある。それもできるだけ奥地まで、またできるだけ数多く配置するほど有利になる。
先手を打ったスコット隊は十分な成果を出せず
このデポ作戦には、スコット隊のほうがアムンセン隊よりも早く出発できた点、まずは有利だった。1月24日、スコット隊長以下12人のデポ隊が、エバンズ岬の基地を出発する。馬ソリ8台(馬8頭)、犬ゾリ2台(犬26匹)で人畜の食糧7週間分をのせているが、うち5週間分は自分たちの消費用だから、デポ用は2週間分だ。
しかしながら、途中で人馬ともにさまざまな事故があり、最終的なデポ地点に行ったのは7人と馬5頭と犬ゾリ2台だった。とくに誤算だったのは馬である。途中の吹雪で3頭が弱りはてて返され、うち2頭は帰途に死んでしまった。残る1頭ものちに死んだ。
結局、スコット隊のデポ作戦は南緯79度29分、エバンズ岬の基地からは300キロたらずの位置が終点だった。ここに食料や飼料など合計約1トンを残して「1トンデポ」とよぶことになる。すでに2月17日になっていた。
デポ作戦隊がマクマード湾に帰ったのは2月下旬だが、スコットの犬ゾリが途中でクレバス(氷河の裂け目)に落ちて間一髪で助かるなど、馬の死とともに暗い材料が目立った。何よりも、デポが南緯80度までも達していない点はとても成功とはいえない。
では、アムンセン隊のほうのデポ作戦はどうだったか。