死ぬか、生まれ変わるしか道がない

その頃、いじめが原因で自殺した子どもの報道があった。自分は大人だから、法務局にも行けるし弁護士に相談もできるけれど、子どもはそれができない。ネット中傷の恐ろしさについて、誰かが声をあげなければと強く思った。また、匿名で髙橋さんに送られてきたメールに書かれていた「お前を僧侶と認めない。なぜなら僧侶は人を殺さないからだ」という言葉も発奮材料になった。

2017年4月、行院を2日後に控え、剃髪式に向かう髙橋美清さん
2017年4月、行院を2日後に控え、剃髪式に向かう髙橋美清さん(写真=本人提供)

「名乗らずに人を侮辱してくるような失礼な人にそんなことを書かれて、火がついちゃって、『じゃあ認めてもらおうじゃないか』と思ったんです」

髙橋さんは2011年に仏門に帰依する誓いを立てる「得度」をして僧籍は得ていたが、天台宗の総本山である比叡山延暦寺での60日間の修行、「行院ぎょういん」は行っておらず、正式な天台宗の僧侶と認められていたわけではなかった。得度した折に行院も行いたいと希望していたが、なかなか許可されなかったのだ。

そこで髙橋さんは師匠にあらためて全ての事情を話し、「今の自分には、死ぬか生まれ変わるしか道がない。行院を通して生まれ変わりたい」と伝えた。「絶対に山を下りません(行院の途中で断念しない)」と誓って許しを得、2017年に比叡山に入った。ネット中傷の被害を受け始めてから2年後のことだ。

そこでは、荘厳な世界を見聞きし、白いごはんと1杯の味噌汁のありがたさをしみじみ感じた。行院は通常、大学生から20~30代の男性が行うことが多い。52歳の髙橋さんにとって修行は過酷だった。60日間の修行の中で爪がはがれ、疲労骨折もした。それでも頑張れたのは、濡れ衣を着せられたまま死にたくないという思いだった。

誹謗中傷の加害者の口から出た「裁いてやろうと思った」の言葉

行院を行う年の1月1日に改名の届け出を出し、戸籍上の名前も変えた。かつての「髙橋しげみ」という名前を捨て、「髙橋美清」として生まれ変わった髙橋さんは、僧侶として生き直すと同時に、自分の誹謗中傷記事を書いたブログ主に、「あなたが中傷記事を書いた相手の髙橋です。あなたのしていることは人権侵害。弁護士立ち合いのもと、お会いしましょう」と連絡を取った。誰の心にも仏心があり、それと同時に餓鬼のような二面性もある。直接じっくり話せば、通じる部分もあるのではないかと考えたからだ。

2017年4月、剃髪式で、剃髪中の髙橋美清さん
写真=本人提供
2017年4月、剃髪式で、剃髪中の髙橋美清さん

複数に連絡をしたが、会えたのは4人。高学歴で、堅い仕事をしている人もいた。「交通費が出せないから行けない」と言う人もいた。「慰謝料30万円を払うから示談にしてくれ」という人もいた。彼らの言い分は一様に、「自分が(亡くなったストーカー加害者の)男性になり替わって裁いてやろうと思った」という、ゆがんだ正義感だった。