賃金を上げも下げもしない企業心理

この結論を補足するとすれば、企業は賃金が正社員よりも低い非正社員の雇用を増やすことによって、企業にとっての総賃金費用を調整してきたという点である。

それでは、景気が悪く失業率が高いときにも、正社員の所定内給与という名目賃金の基本的な部分が下方に硬直的なのはなぜであろうか。

日本のような長期デフレ期には、名目賃金が低下しても、物価も下がっているのであるから、両者が同じ率で低下しても、働く人の生活にとって重要な実質賃金は変化しない。しかし、ケインズ『一般理論』によると、非自発的失業が存在し、物価が下落している状況でも、労働者は名目賃金の引下げに抵抗するという。

この点を説明する仮説として、これまで、「効率賃金仮説」などいくつかの仮説が提示されてきたが、最近は行動経済学による知見が有力になっている。

岩田規久男『資本主義経済の未来』(夕日書房)
岩田規久男『資本主義経済の未来』(夕日書房)

20世紀後半から発展した行動経済学によると、「人々は一度手に入れたものを価値判断の基準にする傾向があり、それを失うと、非常に落胆する認知特性(これを、損失回避特性という)を持っている」という。この「損失回避特性」を賃金に当てはめると、いったん支給された名目賃金が引き下げられると、労働者は大きく落胆して、労働意欲が減退する可能性がある。

そうであれば、企業は景気が悪化して、利益が減少しても、名目賃金、とくに、その基本部分の所定内給与を引き下げることに躊躇するであろう。実際に、Bewley[1999]やKawaguchi and Ohtake[2007]などは企業へのヒアリング調査やアンケート調査から、賃金引下げが生産性の低下をもたらしていることを示している。

「名目賃金の下方硬直性」は、景気が回復したときには、将来、景気が悪化したときに賃金を引き下げられないことが予想されるため、企業は賃金引上げに消極的になるという「名目賃金の上方硬直性」を生み出す原因になる。

(参考文献)
山本勲[2007]「デフレ脱却期における賃金の伸縮性――国際比較の観点から」『三田商学研究』50(5)、慶應義塾大学出版会
黒田祥子・山本勲[2006]『デフレ下の賃金変動――名目賃金の下方硬直性と金融政策』東京大学出版会
Kuroda, Sachiko and Yamamoto, Isamu[2014]“Is Downward Wage Flexibility the Primary Factor of Japan’s Prolonged Deflation?”, Asian Economic Policy Review 9
山本勲・黒田祥子[2017]「給与の下方硬直性がもたらす上方硬直性」(玄田有史編[2017]『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』に所収)
Bewley, Truman Fassett[1999]“Why Wages Don’t Fall During a Recession”, Harvard University Press
Kawaguchi, Daiji and Ohtake, Fumio[2007]“Testing the Morale Theory of Nominal Wage Rigidity”, Industrial and Labor Relations Review 61(1)

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