こういった混乱の時期は、詐欺師が暗躍するのも世の常である。対立を利用した詐欺事件も多発した。騙されたのは主に“勝ち組”だ。「日本が勝ったから円の価値が上がる」とすでに紙クズになっていた旧円を売りつける「円売り詐欺」や、「大東亜共栄圏の土地を売ってやる」と架空の土地を売る詐欺、戦勝国となった日本に凱旋したいという気持ちにつけ込んだ帰国詐欺などが横行した。1950年代にはお忍びでやってきた皇族に成りすました男女が信奉者に貢がせる「偽宮事件」など奇妙な事件も起きている。

“忘れられた悲劇”が現代に問いかけるもの

こうしてさまざまな混乱に見舞われたブラジルの日本移民社会だったが、1952年に日本とブラジルの国交が正常化し人と情報の行き来が活発になるとさすがに敗戦の事実は明らかとなり、かつて大勢を占めた“勝ち組”も徐々に“負け組”へと宗旨変えをしてゆく。

葉真中顕『灼熱』(新潮社)
葉真中顕『灼熱』(新潮社)

そして1954年の「サンパウロ市創立400年祭」を機に日本移民たちは団結へと踏み出した。このとき団結を疎外しかねないこの抗争のことはタブー化された。公の場で語られることはなくなり、邦字新聞も記事を載せなくなる。そのうちに世代交代が進み、抗争を知らない戦後の日本移民も多くブラジルにやってきて、やがて抗争の記憶はブラジル日本移民社会の中でも薄らいでいった。現在では日本にルーツを持つ日系ブラジル人の人々でも、このことを知っている人は少数となっている。

忘れられた悲劇というべきこの抗争を、過去のことと笑えるだろうか? そんなことはあるまい。現代では、ほとんどラジオしかなかった当時と違いSNSをはじめ様々な情報技術が発達している。しかしそんな現代でも、いや、そんな現代だからこそ、人は自分に都合のいい情報だけを選んで触れるようになった。「信じたいものを信じる」という人間の性質は何も変わっていない。フェイクニュースや陰謀論、コロナに関するデマが横行し、人々の分断が加速する現代だからこそ、問う意味があると思う。

この“ブラジル勝ち負け抗争”を題材にした新刊小説『灼熱』では取材と執筆に5年を費やし、本稿では書ききれなかった歴史的事実や人々の想いを盛り込んだ。読めば異郷の地で日本人同士がなぜ分断したのか、より詳しくわかってもらえることだろう。フェイクニュースやナショナリズムなど「今」読むべきテーマを備えつつ、誰もが楽しめるエンターテイメント小説になったと自負している。興味を持った方は是非手に取っていただければと思う。

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