岡本は同じ宿舎に暮らす貞森に言った。

「これから警察学校に行って、謝ってくる」
「岡本さん、その前に鏡を見た方がいいですよ」

貞森に言われて岡本が鏡をのぞき込むと、自分の顔とは思えないほど腫れている。こめかみのあたりにはべったりと血も付いている。

「こりゃ、大分やられたな」

貞森によると、岡本は最後にはぼこぼこにやられ、あばら骨の1本や2本、折れていても不思議でないほどだったらしい。

帰国しようとしたら「ちょっと待ってくれ」

岡本は顔を洗って血を落とすと、50ccのバイクにまたがりすぐ近くの警察学校に向かった。学校に着いてハンマミエの部屋に入る。彼も岡本を待っていた。

部屋に入った岡本の顔を見て、校長もぎょっとしている。驚くハンマミエに岡本が言う。

「校長、帰国することになりました。すみません。ちょっと昨日はやり過ぎました」
「帰るのか」
「大使から帰れと言われ、これから帰国の手続きのため大使館に行きます」
「大分、飲んだようだな。何を飲んだんだい」
「ビール、ワイン、アラック、ウイスキー。よく覚えていないほど飲みました」
「はーん、そうか。それが悪いんだ。オカモト、お前が悪いんじゃない。酒が悪いんだ。酒はミックスしてはいけない。それが、悪かったんだ」
「いや、酒のせいと言っても、やっぱり飲んだ自分が悪かった」

大立ち回りに関係なく、岡本は帰国するつもりでいる。それよりもハンマミエがあまりに穏やかなことが岡本にとっては不思議だった。「では、そろそろ」と部屋を出ようとした岡本にハンマミエが言った。

「ちょっと待ってくれ」

校長は急にまじめな顔になると、机上にあった内線電話で話し始めた。

「オカモト、君は帰国できない」

「オカモトが帰国すると言っています」

やりとりを聞いていると内務省の教育担当幹部と話しているようだった。

「はい、はい」

とハンマミエが緊張しながら応対している。岡本は様子がおかしいと思った。「帰国させるな」ということだろうか。責任を取らせろと言っているのかもしれない。器物損壊、傷害、公務執行妨害。このまま身柄を拘束されても不思議ではない。ちょっとやっかいだなと岡本は思った。ハンマミエが電話を切り、岡本に告げる。

「オカモト、君は帰国できない」

逮捕されて聴取でも受けるのかと思った彼に、ハンマミエは予想もしなかったことを口にした。

「昨日の件は内務省にも報告が上がっている。その結果、空手は実戦に使えると内務省は判断した。君は警察学校で空手を教えなければならない」

シリア側の反応に岡本はきょとんとするばかりだった。殴る蹴る、車のガラスは割ると大暴れしたにもかかわらず、この国の内務省はその責任を問うどころか、「実戦に使える」と判断している。岡本には理解できない反応だった。