50人集まるはずが、生徒は3人だけ

ただ、現実は甘くない。ダマスカスに到着早々、道場を見てみると、倉庫のようなところにコンクリート敷きである。すでに柔道場には畳が入っていたが、空手のためには板張りさえなかった。稽古はコンクリの上ですることになる。

それでも屋根は付いている。指導できないことはない。コンクリ敷きの道場でまずは1週間、オリエンテーションをやってはみたが、生徒は来ない。オリエンテーション期間が終わり、本格指導に入っても、やって来た生徒は3人である。警察学校長のワリード・ハンマミエから、「50人程度は集まる」と聞いていたのとは随分状況が違う。岡本は校長を問い詰めた。

「どうなっているんだ。生徒が来ないじゃないか」
「オカモト、みんな遊びに行ったり、柔道を見に行ったりしている。空手なんかしたくないと言っている」
「したくないって、そんな話あるか」

怒っていても仕方ない。集まった3人を相手に指導しようとしたが、今度は生徒に絡まれる。

「オイ、早く、親父を呼んで来い」
「親父を呼んで来い、とはどういうことだ」
「お前、がきだろう」

岡本は童顔だった。体毛も濃くなく、ひげもはやしていない。アラブ世界では成人すると、鼻の下やあごにひげを蓄える習慣がある。ひげは男らしさをアピールする象徴でもある。ひげのない岡本を見て生徒たちは、「がき」と言ってからかうのである。

1週間ほどしても生徒は集まらず、たまにやって来る生徒も真剣に稽古しようとしない。

日本外交官からの小言にも疲れ果てて

岡本は現地の日本人外交官とのやりとりでも疲れ果てていた。岡本の月給は170ドル。ボランティア・レベルでの派遣である。彼は隣国レバノンのベイルートでアラブ人や欧米人相手に空手を個人指導しアルバイト料を稼いでいた。ベイルートには当時、日本食材を売る店があった。毎週、ベイルートで空手を教えた小遣いで日本食材を買ってくるのが楽しみだった。

これに対し大使館から「派遣の条件に反する」と批判が出た。派遣中に他国に出るには大使館への届けが必要で、アルバイトは禁じられている。アラビア語を専門とするある外交官が岡本を目の敵にし、彼のやることなすことに、「岡本君、それはだめだぞ」と厳しく注意していた。

シリアの若者に対する幻滅、自国外交官からの小言、そして、思い描いたように進まない空手指導。岡本はついに帰国を決意した。

「去勢された連中に日本武道の精神を植え付けようと思った自分がばかだった」

岡本は警察学校宿舎で酒をあおっているうちに怒りが増幅されてきた。ビールにアラック(地元の蒸留酒)、ワイン、ウイスキー。ぐいぐいと飲むにつれ気持ちは大きくなる。