「脱成長」は新たな「隷従への道」である
厳格な掟や因習に支配された部族社会やあらかじめ特定の思想家が構想した設計図のある社会主義社会や宗教原理主義共同体とは異なり、資本主義社会には予め決まった設計図もなければ定められた運命もない。資本主義社会の将来を決めるのは、多様な考えを持つ人々の民主的討論と自由な挑戦である。人類のサクセスストーリーはもしかするともう終わりなのではないか、これまでの成果は本当に確かなものなのか、時に不安を感じるのは当然である。
だが、心配することはない。資本主義文明が達成したこれまでの成果は想像もしなかったような素晴らしいものだった。よりよい未来を目指して、資本主義文明のもたらした、開かれた社会への道を引き返すのではなく、さらに進むべきである。
経済成長を放棄したところで、理想的な状態など決して訪れるはずがない。斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』が提唱するような「脱成長コミュニズム」では、現代の文明を守っていくことは到底できない。かつて、オーストリアの経済思想家フリードリッヒ・ハイエク(1899-1992)は、『隷従への道』(1944年)において、社会主義計画経済は必然的に全体主義体制を招くと警告したが、昨今流行している「脱成長コミュニズム」がもたらすものは、その意図に反して、まさしく新たなる隷従への道に他ならない。
筆者は斎藤氏の本を読んだとき、斎藤氏のご意見には一つとして同意することはできなかった。とはいえ、冷戦終結以来、ほとんどの左派知識人が明確なビジョンを示してこなかった中で、斎藤氏が明確なビジョンを打ち出し、資本主義に挑戦状をたたきつけたことは高く評価できるだろう。『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』は、ある資本主義者による斎藤氏に対する回答である。
(*1)「グレタ・トゥーンベリさん、国連で怒りのスピーチ。『あなたたちの裏切りに気づき始めています』(スピーチ全文)」ハフィントンポスト、安田聡子、2019年9月24日
(*2)国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)による。