社会主義経済は例外なく独裁を生み出す

これまで歴史上に現れた社会主義経済体制は、例外なく個人の自由を認めない最悪の独裁体制を生み出してきたが、これは決して偶然ではない。私的所有権がなく、政府が資源配分を決める社会主義経済では、ロシアの革命家レオン・トロツキーが述べたように、「働かざるもの食うべからずという古い掟は、従わざるもの食うべからずという新しい掟にとってかわられる」ことになる。

ベルリンの壁と見張り台
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資本主義社会では、どんな理由からにせよ、ある会社がこの本をお読みの読者との取引を拒んだとしても、読者は他の会社と取引できるが、社会主義社会では政府が読者との取引を拒めば、読者は何一つ手に入れることが出来ず、餓死するしかない。

社会主義者は企業家のことをよく「独占資本」などと罵倒するが、社会主義計画経済は、政府という唯一の雇用主しか存在しない究極の独占である。資本主義社会では、ある会社が読者を雇わないと決めても、読者は別の会社を探せばよいが、社会主義社会では政府が読者を決して雇わないことに決めたら、読者は生活手段を完全に失ってしまう。

不当さを訴えようにも、話を聞いてくれる新聞社も弁護士もいないだろう。仮に読者に同情する心ある人がいたとしても、その人もやはり政府に解雇されてしまうだろう。全てのメディアが国営メディアである国に言論の自由などあるはずがない。

実際の社会主義国の歴史を見れば……

気取った知識人はしばしば物質的問題を軽蔑して見せるが、物質的問題を精神的な問題と切り離すことは不可能である。精神の自由は、個人が自分自身の私的領域を持つことを許されない社会ではありえないのである。

実際の社会主義経済は、私的所有権を部分的に認めたり、市場経済を一部取り入れたりしているので、ここまで徹底してはいないが、歴史的に見て、社会主義の要素が強ければ強いほど、政治体制がますます抑圧的で全体主義的になる傾向は明瞭に見て取れる。レーニン、スターリンのソ連、毛沢東の中国、金王朝の北朝鮮、ポル・ポトのカンボジアといった20世紀の全体主義体制はその最悪の実例である。