死を身近に感じる経験をして「時間は有限である」と考えるようになった

【ピョートル】自身の成長とともに、ポリシーに基づいた価値観や信念は変化しましたか。

【仁禮】世界的な新型コロナウイルスの蔓延で、「死に直面するもの」が人類全体に降り注いできたことで、特に若い世代に「人生は限られているな」「いつ死ぬかわからないな」という価値観が植えつけられた印象があります。

死というものに直面する経験をした人は、そういう価値観を持ちやすい。私が大事にしている価値観の一つが、まさに「時間は有限である」ということですが、私も子どもの頃、死を身近に感じる経験をしました。有限性を理解して建設的に受け入れられると、その限られた時間をどう使うかに意識が向くようになります。私自身も、自分の成長と外部要因が重なって、最近さらにその意識が高まっていると思うし、全体的にそういう傾向があることを興味深く感じています。

【ピョートル】資本主義社会の子どもたちは、パイロットや税理士になるために資格を取ること、会社に入るために大学に行くことをゴールとする仕組みの中でがんばっています。こうした教育の現状と、仁禮さんの理想の教育との溝とは、どういうものなのでしょう。

「数学が嫌い」という子どもに「なぜ?」と聞く人がいない

【仁禮】現在の教育コンテンツには、ゴールが設計されていたり、最低基準が一律であったりするものが多いですよね。テストの点数がとれていれば評価され、それ以外は評価されないという極端な仕組みです。もちろん現行の評価軸を撤廃しろと言いたいのではありません。テストが得意な人がいるからそれはそれでいい。ただ、個々人の才能や個性をどう見つけ、どう伸ばすかを考えてつくられているものが非常に少ないことが問題です。

現状のシステムは、むしろ個性を排除していく仕組みになっている。ピョートルさんもよく言っているように、私も「自己認識」が教育の基本だと思っています。学校は自分のことを知るための場所であってほしい。本来は、まず自分を知って、そこで初めて「何を学ぶのか」「どう学ぶのか」「どう生きていくのか」を考え、時間割を組んで進路を考えていくべき。それなのに、自己認識をまったくしない状態で、数学や国語や歴史の授業を受けているのが現状です。

「数学が嫌い」と言う子に「なぜ嫌いなの?」と問いかけてくれる人はいません。ただ先生が嫌いだからなのか、答えが一つしかないという数学の思考回路そのものが合わないからなのか、自分の人生にどう活かせるのかがわからなくて目的が見えてくるまではモチベーションが上がらないタイプだからなのか、それぞれ違う理由があるはずなのに、それを「数学嫌いなんだ。へぇ」で終わりにしてしまったら、その子は自分を知ることができません。本来、学校は、一人ひとりに対し、サポーターとして「それはなぜなのか」「どうしたらいい?」「あなたはどう?」と一緒に考えるべき。それが教育の理想なのではないかと思います。