突然始まった深夜2時の引っ越し
その代わり奇妙なことが起こった。とある法律事務所の弁護士から「これから大浦さんの所在を訊ねる者があったら、当職に連絡を」という趣旨のハガキが届いた。なにかあったのだろうとは思ったが、なにがあったのかは書かれていない。
それから幾日も経たないうちに、いつも109号室の賃貸手続きを代行している不動産屋から連絡があり、大浦さん一家が急に引っ越すことになったという。しかも、深夜の2時が明け渡し時間なので、その時間まで待機しなければならないというのである。つまりは、夜逃げなのだった。
賃貸の場合の水道料は賃借人が払うことになっている。これ以上、水道を使わないとわかった時点での数値を賃借人立ち会いの下で記入し、それを請求することになる。明け渡しの深夜2時にそれを行なうので、私も立ち会わねばならないのだ。
私は、その不動産屋さんとともに引っ越し作業が終わるのを待った。まさに暗闇の中での「手探りの引っ越し」だった。まあ、その間の長かったこと!
老夫婦の正体は“寸借詐欺”の大物
無事、大浦さんの奥さん立ち会いの下で検針を済ませ、引っ越しも無事完了、やれやれと一夜明けた次の朝、どこで聞きつけたか、例の白髪の老人が管理員室にやってきた。
「大浦さんとこは引っ越したんですか?」
「ええ。引っ越されましたが、それがなにか……」
「怪しいとは思っていたんですが、やはり夜逃げしましたか」
うなだれる白髪の老人によると、大浦さんから儲け話を持ちかけられ、数百万円を出資したが、そのまま返ってこなくなったという。彼は自分の金を取り返そうと大浦さんの住まいを突き止め、何度もこのマンションを訪れていたのだ。
個人的に貸したものゆえ、警察や司法に訴えるワケにもいかず、自力で取り返そうとしていたのだろう。そういう事情を知らない私たちは大浦さんを被害者だと思い、彼らをかばって「今日、こんな人が訪ねてきていましたよ」といちいち報告し、妙な味方をしてしまっていた。
これもあとからわかったことだが、大浦さんはどうやら寸借詐欺の大物みたいな存在だったらしく、あちこちに儲け話をして金を出させ、それを着服していたらしい。
思うに、やくざ者と見えた男性はきっと街金の取り立て屋で、館内をウロウロしていた見かけぬ人々もみな、なんらかのカタチで大浦さんに金をむしり盗られた“被害者”たちだったのだろう。