大浦さん一家が越してきて、2カ月も経たないころから、見知らぬ人が館内をウロウロするようになった。エントランスに表示された居室案内板を眺めては、同じところを行ったり来たりする。ひとりならまだしも、複数いた。とくに白髪で、がっしりとした体格の老人の行動が目についた。
1日のうち何回もエントランスにやってきては、誰かを待つかのように大浦さんの部屋のある方向を見つめているのである。買い物に行く家内も気味悪がるくらい頻繁にやってくる。理事長がその行動を見とがめて注意したほどだった。
突然部屋を訪ねてきた“その筋”の若い男
ある日のこと。1階の大浦さん宅の前で大声がするので、管理員室を出てみると、大浦さんの奥さんが、あの白髪の老人と言い争っている。内容はわからないが、奥さんがヒステリックに「警察を呼びますよ」と叫ぶと白髪老人のほうは「ああ、呼べよ」などと応戦している。どうやら奥さんのほうがストーカー被害に遭っているような感じだった。
なにかあったら駆け付けようと私も遠巻きに様子をうかがい、近所から住民が顔を出したこともあり、男は毒気を含んだ憎々し気な表情で奥さんをにらみつけて帰っていった。このときはこれで済んだが、どうもその諍いは繰り返されているようだった。
それを目撃した住民さんが管理員室に知らせてくれたりした。私も家内も大浦さん一家になにもなければいいが、と心配していた。そんなある日、真っ黒の下地に金色の刺繍を縫い付けたTシャツの若い男がやってきた。誰が見ても、その筋だとわかる風体だ。
その男は居室案内板をしばらく眺めたあと、事務室にやってきて訊ねる。
「109号室は空欄になってまっけど、誰も住んどらんのですか?」
「いや、住んではおられますが、名前が表示してない場合は住民さんの意思で外してあるんです」
「誰が住んでるか、教えてもらえんですか?」
もちろん、こんなアヤシイ男にハイハイと応じるわけにはいかない。
「お宅はその住民さんと、どういうご関係で?」
「友だちです」
あの老夫婦に、こんな年若い友人がいるとは考えられない。マンション管理員としては住民を守らねばならない。私は勇気を振り絞って反撃に出た。
「だったらご存じでしょう。ご友人なのであれば直接、ドアをノックして訪ねてみられてはどうです」
「ああ、どうも留守みたいでね。また来さしてもらいますわ」
男はそれっきり、二度と現れなかった。