身寄りのない人が、自宅で死を迎えることはできるのだろうか。在宅療養を支援する訪問看護師の小畑雅子さんは「苦痛なら緩和できるが、孤独を癒やすことは難しい。ほとんどの人は家族の代わりになる人や場所が必要」という。今回は、一人暮らしで在宅死を希望した2人のケースを紹介する——。(第6回)
訪問看護師の小畑雅子さんと、88歳で亡くなった加悦隆夫さん
訪問看護師の小畑雅子さんと、88歳で亡くなった加悦隆夫さん

楽しみは、月に1回、子供が来てくれることだけ

80代後半の加悦隆夫さんは妻をがんで亡くしてから、山奥で一人で暮らしていた。

3年前の夏、私は訪問看護師の小畑雅子さんと一緒に加悦さんの家を訪ねた。小畑さんはもう5年もここに通っているという。

「加悦さん、こんにちはー」

勝手知ったるわが家のようにガラガラと戸を開け、小畑さんは中に入っていく。加悦さんは糖尿病が進行して目がほとんど見えない。10日前に風呂場で転倒し、風呂場のガラスに頭を突っ込んで大けがをしたそうだ。電話で近所の人が駆けつけた時は、あたり一面“血の海”だったという。この日もまだ頭頂部には大きなガーゼが貼られていた。

小畑さんが血圧を測りながら「腕が細くなったなぁ」と声をかける。

「うん、足も細くなった」と加悦さん。本当に全身がやせ細り、ガリガリだ。目が見えないため、買い物や食事、洗濯は、ホームヘルパーが行うという。医師や小畑さんは1~2週間に1回訪ねてくる。相当な山奥だから近所に店はなく、ふらりと遊びに出かける場所もない。

「何か楽しみはありますか?」

と、私は質問した。

「ないなぁ……うん、何もない。月に1回、子供が来てくれることだけ」

カレンダーのほうを見ながら加悦さんが言った。子供といっても、60歳近い娘が来るのだという。「27」の日に丸がついているのだが、まだあと10日ある。その間、医療や介護関係者が訪ねてくる以外、加悦さんの用事は何もなさそうだ。

だが月に1回の子供の見舞いがうれしいらしく、「家内はワシより早く死んだけど、子供らがよくしてくれるから……」とつぶやく。