「私は三味線をひくから、ひかりちゃんは歌いせぇ」

小畑さんは医師と交渉し、痛みを和らげる麻薬を久子さんに服用させてから、車いすでホール(住宅内の大食堂)に連れていった。皆がいるテーブルで歌ってみるよう声をかけると、久子さんは歌いだす。元芸者だから歌唱力は抜群だ。周囲の人は初日は遠巻きにしていたが、翌日から久子さんの近くに集まってきた。

「自分が歌をうたうと、周りの人が喜んでくれる。芸者の時のように人の役にたつ喜びを取り戻したんでしょう、久子さんの口から『ここへ来てよかった。いい人ばかり』という言葉が出てきたんです。やっと居場所ができたと思いました」

すっかり穏やかになった久子さんは、亡くなる前日に「みんなで花見にいきましょうで。私は三味線をひくから、ひかりちゃんは歌いせぇ」と、小畑さんに話したという。小畑さんが開設した訪問看護ステーション「ひかり」から、久子さんは小畑さんを“ひかりちゃん”と呼んでいた。

「施設のような場所で死ぬのも幸せなんだと感じた」

「その話をしている時、まるで目の前にその光景があるような輝いた顔でした。翌朝、意識混濁で何度も茶色の物を吐いて……亡くなりました」

兵庫県豊岡市の訪問看護ステーション「ひかり」
兵庫県豊岡市の訪問看護ステーション「ひかり」

久子さんの最後の言葉は

「ちょっとがんばりすぎたなぁ。ひかりちゃん、健康が一番。気いつけんせいよ(気をつけなさいよ)」と、小畑さんの健康を気遣う言葉だった。

小畑さんはこう振り返る。

「死の前日まで夢をもつ、希望をもつこともできるのだと。家族でなくてもいいんだ、施設のような場所で死ぬのも幸せなんだと感じたケースです」

(次回に続く)

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