自民党の岸田文雄総裁が4日、総理大臣に就任した。戦後、広島の政治家が総理大臣になるのは3人目で、トップの群馬(4人)に次ぐ2位(山口、神奈川と並ぶ3人)だ。統計データ分析家の本川裕さんは「岸田氏のように育ちは東京でも親の地盤を継いで二世議員となり、当選を重ねるのが総理大臣への近道。宮沢喜一氏以降の歴代首相16人のほとんどが東京の高校を出ている」と指摘する――。

広島から4人目、岸田新総理大臣誕生で振り返る「歴代首相の出身県」

9月29日に行われた自民党総裁選挙は、1回目の投票で4人の候補者はいずれも過半数に届かなかったため、上位2人に対する決選投票が行われ、その結果、岸田前政務調査会長(64)が、河野規制改革担当大臣(58)を抑えて新しい総裁に選出された。

これを受けて臨時国会が召集され、10月4日に行われた総理大臣指名選挙の結果、岸田新総裁が第100代の総理大臣に就任した。

第100代は、内閣成立ごとの延べ回数であり、例えば安倍元総理は第90代、第96~98代と4代もの総理大臣を経ている。当稿では総理として何人目かという代を採用するので、岸田新総理は、第64代総理大臣である。

岸田新首相は、広島県出身の通産官僚だった父・衆議院議員岸田文武の秘書を経て、当時65歳だった父の死を受け35歳で旧広島1区から衆議院選に立候補し1993年に初当選した。その後、新広島1区での選出を含めて9回連続で当選している。

親の教育方針もあり、東京の永田町小、麹町中、開成高、早稲田大を卒業し、秘書になるまでは日本長期信用銀行に勤務していたので基本的には東京人である。当然、広島に学校時代の友人はゼロであり、秘書時代に人脈づくりのために青年会議所のメンバーとなったが、選挙ではその仲間が実働部隊を担ったという。

広島出身の総理としては宮澤喜一元総理に次ぐ4人目であり、広島は山口(8人)、東京(5人)に次いで3番目に多い総理大臣出身県となった。

岸田新首相については、政見、履歴、人柄などさまざまな報道がなされているが、ここでは、出身県をめぐる話題を提供したいと思う。

図表1には、都道府県別の戦前・戦後の総理大臣の数と名前を示した。これは筆者オリジナルのグラフである。

何といっても総理大臣は日本の政治家が到達しようとする頂点であり、角界に入ったら横綱を目指すのと同じような地位にある。そこで、政治家に向いている県民性はどこかといった興味で総理大臣出身地が見られることが多い。

しかし、以下にふれるように県民性以外の要因が大きく作用しているので、政治について県民性で判断できる余地はかなり小さいというのが実情である。

なお、出身県がいずれかという点の判定方法であるが、総理大臣が必ずしも国会議員ではなかった戦前は「出生地」としているが、正式に議員内閣制となった戦後は議員として選出された「選挙区」の都道府県としている。

出生地と選挙区が大きく食い違った例は、菅義偉前総理である。菅前総理は秋田県の農家出身であるが、自らが神奈川1区選出の小此木彦三郎代議士の秘書を務めていた関係で、神奈川2区選出の衆議院議員であるため、図では神奈川県に区分されている。秋田出身だとすると歴代初となったところである。