初対面で三日三晩お世話になる

「酒、飲むか」

オジイはラベルの貼られていない一升瓶に入った酒を飲み始めました。食卓には肉じゃがや山菜の煮物が並びます。

「肉じゃが! 沖縄の人って肉じゃが普通に食べるんですね。チャンプルー的なものばかりかと」思わず言ってしまいました。

「明日は沖縄っぽいものにするわね」
「明日?」

という流れで、図々しくも3日間お世話になってしまいました。

飲んだことのないお酒、食べたことのない料理、聴いたことのない音楽。目が覚めるような美しい海まで徒歩3分の沖縄の民家で過ごした3日間は『田舎に泊まろう!』よりは『世界ウルルン滞在記』寄りの3日間となりました。

Okinawa_Island
写真=iStock.com/O_P_C
※写真はイメージです

そして、なんとオジイの孫の一人が僕が当時住んでいた名古屋にいたこともあって、僕が名古屋に帰ってきてからも色々と家族ぐるみでお付き合いが続きました。オジイが名古屋に来た時は娘夫婦に内緒でキャバクラにも行きましたし、酔いつぶれたオジイをおんぶして夜の繁華街も歩きました。

「今日も生きていること」を嬉しがったオジイ

そんなオジイが体調不良になったのは2020年の年始。

お見舞いに行く約束をしました。3月に沖縄行きのチケットをとったのですが、コロナで流れ、夏に取り直すもそれもコロナで流れました。12月、オジイは亡くなり、結局僕は会えずじまいでした。

しょうがないのでしょうか。

しょうがなくないのです。だってコロナが落ち着いて、沖縄に行けるタイミングはあったのです。その時、僕は行動していなかったのです。オジイの体調がどんどん悪くなっているのは知っていたのですが、2回も流れているし、どうせ3回目も流れるからもう少し落ち着いたら、と思い、なんとなく延期にしていたのです。

僕は時々、自身のこういった怠慢に嫌気が差します。いつまでも電気代を引き落としにしないことも、作りすぎたクレジットカードを見直さないことも、マイナンバーカードを作らないことも全部一緒。一事が万事なのです。その時しかやれないこと、絶対にやったほうがいいことを、いつも先延ばしにして、後悔してしまうのです。

オジイは余命宣告をされてからは毎日、手足が動く、話せる、目が見える、耳が聞こえることに感謝して生きていたそうです。健康じゃないけど、「今日も生きている」という事実がうれしくてたまらなかったそうです。

その話を聞いてからの僕は、果たして自分はいつまで生きられるつもりで生きているんだろう、という自問自答の繰り返しです。そして、いつまで自分の周囲の人が存在するつもりで生きているんだろうということも考えます。

その答えはもちろん存在せず、ただ向き合うことに意味があるとしても、それでも自分の能天気で楽天的な部分に時々たまらなく辟易してしまいます。