好きな相手と恋仲になった幸せも半年で薄らぐ
さらに悪いことに、人類にはもうひとつ、「ポジティブな情報ほど長持ちしない」という心理も備わっています。
社会心理学者のデビッド・マイヤーズは、人間の幸福感についてリサーチを重ね、こう結論づけました。
「情熱的な愛、精神的な昂り、新しい所有の喜び、成功の爽快感。すべての望ましい経験は、いずれもそのとき限りのものである。この点はいくら強調しても足りない」(※4)
この現象を、心理学では「快楽の踏み車」と呼びます。ホイールの中を走るハムスターが決して前に進めないのと同じように、人間の喜びも同じ位置にとどまり続ける事実を表した言葉です。
「快楽の踏み車」の存在は何度も実証されており、特に有名なのは、1978年の研究でしょう(※5)。
これは宝くじの当選者を調べた古典的な研究で、彼らの心理を調べたところ、大半の被験者は当選の直後にしか幸福度が上がらず、半年後にはほぼ全員が元の精神状態に戻っていました。数千万から数億円の賞金を手にしても、私たちの幸福は高止まりしないようです。
そこまでいかずとも、似たような経験は誰でもあるでしょう。
また別の研究によれば、新しいアパートに引っ越したうれしさは平均3カ月で色褪せ、給料が上がった喜びも半年で消失、好きな相手と恋仲になった幸せも6カ月で薄らぎ、およそ3年でベースラインに戻ります(※6)。
大金を手にしても、住む場所を変えても、愛する人と結ばれても、その喜びは常にうたかたです。
原始の世界ではネガティブに敏感な人間が“適応”
つまりあなたの脳には、感情に関して2つのシステムが備わっています。
①嫌なことはあとまで残る
②良いことはすぐに忘れる
幸せはすぐ消え去るのに苦しみは数倍の強さで残り続けるのだから、私たちが生きづらさを感じるのは当然でしょう。やはり人間の精神は「苦」がデフォルトのようです。
人体に「苦」が標準で備わったのは、人類の生存に有利だったからです。
私たちの祖先であるホモ・サピエンスが出現したのは約20万年前で、彼らは現代では考えられないレベルの脅威にさらされながら生きていました(※7)。
狩りに出かければライオンや蛇に襲われ、天候が悪くなれば飢餓に苦しみ、蚊が運ぶマラリアやデング熱に感染すれば死を待つしかありません。
部族間の争いで命を落とすこともあり、スーダン砂漠で発掘された1万5000年前の遺体からは、手足を縛られたまま撲殺された痕跡が見つかっています。ホモ・サピエンスが暮らした環境では、捕食、飢餓、伝染病、暴力が日常茶飯事でした。
脅威に満ちた環境を生き抜くには、できるだけ臆病になるのが最適解です。
あの怪しい影は猛獣ではないか? あの狼煙は敵の襲撃を知らせているのではないか? 仲間が冷たいのは裏切りの兆候ではないか?
微かな異変を見逃さなかった者ほど、後世に遺伝子を残せたのは間違いありません。原始の環境においては、ネガティブな情報を敏感に察し、その記憶を長く保てた者ほど“適応”でした。