事実関係があやふやな雑学を放置してもいいのか
多くの人にとって雑学なんてモノは話のタネに過ぎず、知っていたらそれでいいが、知っていなくても何も困らない。
ただその場で知ったかぶりをすることができさえすればいいモノだ。
だから、その雑学の事実を確認しようとする人はほとんどいない。たとえ事実であろうとなかろうと、他人の気を引く内容でさえあればいい。
小うるさい人を黙らせるだけなら「諸説あります」と言っておけば、事実性に難ありの雑学でも、さも1つの説として、普通の説と同等に並び立っているフリができる。
こうして、雑学の多くは事実考証も曖昧なまま、ちょっとした話のタネ、コラムの埋め草、校長先生の朝礼、SNSでの知識マウンティングなどに利用されつづけているのである。
だが本当にそうした事実関係があやふやな雑学が蔓延していても、本当に社会にとって不利益はないのだろうか?
いや、実は不利益に繋がりうる。
なぜなら、ほとんど害のないあやふやな雑学を「話のタネになるから」とか「話すとみんなに物知り扱いされるから」という理由で、どんどん常識から外れた刺激的なネタを求めてしまうことになるからだ。
そしてネットにはそうしたネタが山ほど転がっている。
先ほど触れた「新型コロナはただの風邪」「ワクチンは有害」といった新型コロナ関連のネタはもちろん、「日本のマスコミは、あの国に支配されている」とか「トランプ前大統領がアメリカ共和国を建国」とかいった政治的なネタ。
さらには「赤ちゃんを粉ミルクで育てるとバカになる」とか「市販のシャンプーを使うと経皮毒で羊水がシャンプーの匂いになる」などの、子育てをする母親を心配するフリをして母親にマウンティングを仕掛けたり、子育てに不安になっている母親に、割高な商品を売りつけようとするようなネタもある。
エコーチェンバー現象の弊害
みんなにウケるネタ、物知り顔できるネタを探している内に、そのような怪しげなネタに囲まれてしまい、無駄なお金を使わされたり、怪しげな政治運動に巻き込まれたり、無駄な不安を抱えている人をSNS上で見かけることもある。
しかし端から見てそのような酷い状況でありながら、当の本人は、自分だけは人の知らない知識を得たり、それを共有できる仲間を得たと思い込んでしまっていることも多い。
いわゆる「エコーチェンバー現象」と呼ばれる、自分の興味のある情報ばかりをフォローし続けた結果、環境が閉鎖的になってしまい、自分たちの信じたい情報や、都合の良い情報ばかりが目に入るようになり、本当に正しい情報や自分たちの正しさを疑うような情報が届かなくなる状況に陥ってしまうのである。
そうした状況に陥らないためには、自分好みの話や、ちょっと面白そうなことを知ったときには、それを鵜呑みにするのではなく、ちゃんとそれが事実かどうか、どのくらいの信憑性があるのかを確認しよとする事が必要である。
そのためにはまさに「A玉B玉説」や「ブラジルコーヒー説」といった、間違ってもそれほど問題のないようなことでも、日頃からちゃんとしっかり考えるクセを付ける事が必須であると言っていいだろう。