意外性のある情報ほど広まりやすい

理由はなにか。

雑学は「みんなが知らないあやふやな説ほど意外性があり、話のネタになるから」である。

「ビー玉」も「銀ブラ」も、日本人であれば大半の人が知っている。そして「ビー玉はビードロ玉の略」「銀ブラは銀座でぶらぶら」だと思っている。

しかしそれがあまりに常識であるからこそ、常識から外れた「A玉B玉説」や「銀座でブラジルコーヒー説」は意外性がある。

夏祭りなどでラムネを見かけたとき「ラムネの中に入っているのはビー玉だよ」といっても「何を当たり前なことを」を思われるだけだが、「ラムネの中に入っているのは、ビー玉じゃなくてA玉っていうんだよ」とすれば、それが話のネタになるのである。

誤った雑学は多くの場合訂正されない

では、そうした雑学を「誤りである」と理解している人は、それを積極的に否定するべきなのだろうか。誰かが「A玉B玉説」を披露しているときに「いや、それは間違っているよ」というべきだろうか。

僕は過去にこんな失敗をしたことがある。

お笑い番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系、1981年~1989年放送)の話題になったときに、誰かが「ひょうきん懺悔室でグレート義太夫が神様やってたね」と言い出し盛り上がったのである。

僕はそれに対して「いや、グレート義太夫じゃなくて、ブッチー武者だよ」と指摘した。

すると、あれだけ盛り上がっていた場が、「あっそうなんだ、ふーん」という感じで、一気に冷え切ってしまったのである。

その場に求められていたのは「懐かしい番組を共通体験としてみんなで盛り上がること」であった。僕は事実を指摘することで、水を差してしまったのである。

これがもし仮に「たいていのガンはニセモノだから、治療なんてしなくてもいい」とか「新型コロナはただの風邪、ワクチンを打つと病気になる」みたいな話であれば、僕はそれを訂正しようと試みるだろう。なぜなら人の命に関わるクリティカルな間違いだからである。そんな話をする人もヤバいし、それを真に受ける人もヤバいから、できるだけ訂正しようとする。

しかし一方で「A玉B玉説」や「ブラジルコーヒー説」。そして「ひょうきん懺悔室の神様はグレート義太夫説」なんてものは、別に誰かが間違って認識していたところで、ほとんど何の問題も発生しない話である。

それをわざわざ正しく修正したところで、誰も喜ばないし、話も盛り上がらない。だから多くの場合はたとえ事実を知っていたとしても沈黙することになる。

ましてや、Twitterで見知らぬ他人が流しているウソ雑学なんて、指摘するだけ時間の無駄にしかならないのだから、いちいち訂正するなんて事は無理なのである。