ライバルは花王より日本の流通システム

P&Gの日本法人、プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&Gジャパン)は、72年に伊藤忠商事などとの共同出資で設立(78年にはP&G100%子会社に)。長らく赤字が続き、「P&Gは日本から撤退するのでは」といった観測も幾度となく流れた。初の営業黒字を計上したのは、アタックが発売されたのと同じ87年とされている。

黒字化の前年に当たる86年以降、やはりほぼ20年間にわたりP&Gジャパンは、ある種の流通改革に取り組んできた。P&Gジャパンの前に立ちはだかったのは、ライバルとしては花王だろうが、一番の難題はアメリカ市場にはない日本独特の複雑な流通システムだった。つまり、ウォルマートとの連合にみられる勝利を導くビジネスモデルが、日本市場では通用しなかったのだ。「アメリカで成功したから日本でも成功するだろう、というのがいけなかった」(桐山一憲P&Gジャパン社長)と指摘する。

P&Gにとって、日本の流通システムへの挑戦はどのようなものだったのか。86年以降の約20年間を流通戦略として捉えると3つのフェーズに分けられる。

フェーズ1は、86年からの10年間。P&Gジャパンは、それまで対立的な関係だった製販を協働関係にするなどで、いまで言うサプライチェーン全体での総合効率化を提唱。90年代のECR(エフィシェント・コンシューマー・レスポンス=効率的な消費者への対応)にもつながっていく考え方だった。が、フェーズ1での成果はほとんどみられない。

活路を開いていくのは、96年からのフェーズ2以降。フェーズ2は96年春に導入したECRの実現期に当たる。

ECRは、メーカー、卸、小売りが協力し合い非効率な取引慣習を見直していき、メーカー、流通、そして消費者をも活性化していく内容。販促費による従来型の値引き中心の販促活動を改め、一方で在庫削減を進めていくのが狙いだ。台所用洗剤「ジョイ」で導入。ジョイはその後、ヒット商品になっていく。

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97年にはBDF(ビジネス・ディベロップメント・ファンド=透明性、公平性、簡素化を原則とした販促費。図参照)を導入。それまでの不透明な販促費から前年のビジネス結果を基にした一律のファンドシステムとした。

同じく97年にはCBDという社内組織を設置。CBDとはカスタマー・ビジネス・ディベロップメントの略。カスタマーとは消費者ではなく取引先を指している。それまでの地域別、商品カテゴリー別の営業体制から、個々の得意先(流通企業)に焦点を当てた体制に転換した。つまり、得意先のビジネスを伸ばすことで、結果としてP&Gジャパンの売り上げも伸ばしていこうという内容。

さらに、99年には「新取引制度」として、同一の取引基準と出荷をベースとした価格体系を取引先にオープンにする(これは、卸だけではなく一部の小売業も含まれた。図参照)。

フェーズ2により、取引の透明性、業務の効率化、さらには価格や販促費中心だった商談から店頭需要をどう喚起するかの商談へと転換を目指し動き始めた。

フェーズ3は2000年以降から現在で、06年にはP&Gジャパンと卸が協働して小売店を支援する「ゴールデンストアプログラム」(GSP)を始める。(文中敬称略)

(相澤 正、水野真澄、川本聖哉、永井 浩、浮田輝雄=撮影)