P&Gと花王知られざる因縁
「アメリカに打って出よう! コンパクト洗剤は、世界中でウチしかやっていない。P&Gに勝てるはずだ」
時はバブル期だった。当時の花王社長、丸田芳郎は決断した。1987年、花王は衣料用洗剤「アタック」を開発。従来型よりも容積は4分の1に、重量は6割にしたコンパクト洗剤である。大きさが25%となったことで、主婦の買い物は楽になりヒット商品となっていく。これ以前は「洗剤を買ったら、主婦の買い物は終わってしまう」と言われるほど、洗剤のパッケージは大きかった。アタックは日本の主婦の消費行動そのものを変えたのである。
だが、洗剤のコンパクト化の意味は、もっと深い。「空気を運んでいる」と揶揄された物流面で大きなメリットをもたらしたのだ。
この頃、ソニーによるコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント(現ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)買収をはじめ、日本企業は破竹の勢いでアメリカ市場に攻め込んでいた。
一方、日用雑貨業界は、代表的な国内産業だ。今も昔も。だが、過去に1度だけ、アメリカ市場に打って出ようと考えた経営者はいた。アメリカのように国土が広くなるほど、コンパクト洗剤の物流面の優位性は計り知れない。プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)は巨人であり、流通大手のウォルマート・ストアーズとの関係は強固。P&Gとウォルマートの牙城を、花王はコンパクト化という技術をもって切り裂こうとした。
しかし、丸田の決断は実行されなかった。71年から社長を務めていたワンマンだったのに。
「丸田さんを止めた人が社内にいたのです。あまりにリスクが大きい、と。私個人としては、行くべきだったといまでも思います。花王が、グローバル化に舵を切る最初で最後のチャンスでしたから」(花王の元幹部)
それから、ほぼ20年が経過。花王は、国内市場で圧倒的な首位に立っている。だが、少子高齢化から日本市場そのものの成長は、多くを見込めない。
花王では28年に欧米視察した2代目社長長瀬富郎がP&Gの石鹸工場を見学して以来、「P&Gをベンチマークしてきた」(別の花王元関係者)。一方のP&Gにとっては、日本に進出してからトップメーカーの花王は大きな壁である。