自分が影響を与えられないニュースは見るな
——コロナ禍により、我々が時事的な情報に触れる機会は増えています。しかしあなたは、ニュースを見る量を減らすことを薦めていますね。なぜでしょうか。
一般の人は、ニュースを見ると世界について何かを学ぶことができる、公私ともに人生のより良い決断につながると考えている。しかし、その発想は大きな間違いだといわざるをえない。人はニュースをずっと見ていると、「知識の錯覚」に陥ります。知識を得ているのではなく、不必要な雑音に振り回されているのです。
ではどうすればいいかというと、先ほど述べた「能力の輪」を確立させ、その中に納まる情報だけを集めればいい。どこかの国で飛行機が墜落したとか、ある国の大統領が他国の指導者と握手したところで、率直に言ってあなたには何の関係もありません。すぐ実行に移すのは難しいかもしれませんが、大半のニュースをシャットアウトしたところで、何の問題もないことがやがてわかるでしょう。
西洋には昔から、「自分が影響を与えられないことは気にするべきではない。自分が影響を与えられることだけに集中すべきである」というストア派の哲学があります。アメリカの大統領にドナルド・トランプが再選するか、ジョー・バイデンが勝利するかについて、私が影響を及ぼすことはできない。私はアメリカ人ではなく、選挙権もないからです。ですからアメリカ大統領選の結果に気持ちを乱されることはない。影響力のない人は、皆それくらい距離を置いたほうがいいのです。それよりも、自分の「能力の輪」に関する、非常に長くて内容が深い記事や書物を熟読するほうがはるかに大切です。
——またあなたは「人生では修正が大事である」と述べており、事例として各国の憲法改正を挙げています。しかし日本は、戦後一度も憲法を変えていません。これは異常だといえるでしょうか。
他の国と比べると、たしかに異常ですね(笑)。ただし私は、日本に憲法改正の「次善策」があるかどうかを知っているほど、日本社会について詳しくはありません。「次善策」というのはつまり、憲法を改正するのではなく、他の手段で社会様式を実質的に変えるということです。
日本は優秀な海上自衛隊を有していますが、憲法には明記されていませんね。個人的には国防のために優秀な部隊をもつことには大賛成ですし、憲法にも明記すれば良いと思いますが、憲法になくても自衛隊が強い力をもっているのは、ある意味で憲法を改正しているようなものです。そのほうがむしろ賢明です。