医者は病気を治すのが仕事だ。それでは末期がんなど、治せない病気のときには仕事がないのだろうか。緩和医療医の大津秀一さんは「医療は『治す』だけではない。病気は治せなくても、苦痛を和らげることはできる。そうした『緩和ケア』の専門医はまだ少なく、知名度も十分ではない。緩和ケアという選択肢をより多くの人に知ってほしい」という――。

※本稿は、大津秀一『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

在宅介護、在宅医療
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
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「緩和ケア」の歴史はまだ50年ほど

「緩和ケア」という言葉は一般的にはまだなじみがないかもしれません。医療というと「病気を治すもの」と誰もがイメージしているかと思います。しかし現代の医療は、完治しない慢性病や、そもそも完全に以前の状態に戻すことは難しい老いの問題と向き合っています。その過程で、「治す」とはまた別のもう一つの重要な考え方である「苦痛を和らげ、心身をより良く保ち、元気に生活できる」ことを支える医療が育ってきたとも言えましょう。それが緩和ケアなのです。

歴史をさかのぼると、まず1950年代に、亡くなってゆく方が人らしく過ごせるようにするための「ターミナルケア」が米・英で生まれました。1960年代に入ると全人的な、つまり身体だけではなく精神的・社会的な側面も重んじるホスピスケアに発展していきます。

近代ホスピスの代表的施設であるセントクリストファー・ホスピスが設立され、1969年にはエリザベス・キューブラー・ロスが、それまではあまり注目されていなかった「亡くなってゆく人の心理」に焦点を当てた著書『死ぬ瞬間』を発表し、話題となりました。今から50年以上前の出来事となります。

その後、苦痛を和らげる分野として発展し、薬物療法なども進化しました。1970年代になると積極的に薬などを用いて症状緩和を行う「緩和ケア」がカナダで提唱されました。つまり近代の緩和ケアはかれこれ50年ほど前に生まれたということになります。

2012年から「早期からの緩和ケア」が国の施策に

日本においても、1970年代から淀川キリスト教病院で末期がんの患者さんへのチームアプローチが開始され、1981年には聖隷三方原病院に日本初のホスピスが開設されています。1990年に診療報酬として緩和ケア病棟入院料が新設され、ホスピス・緩和ケア病棟が日本に少しずつ増えることにつながりました。

このように主として終末期がんから始まった緩和ケアですが、2002年には緩和ケア診療加算が新設され、治療病院においても緩和ケアチームが活動することで診療報酬を得られるようになるなど、終末期の施設ばかりではなくがん治療病院においても緩和ケアの専門部署が設けられる礎となりました。そして2012年、第二期がん対策推進基本計画において「がんと診断された時からの緩和ケアの推進」が明記され、「早期からの緩和ケア」はいわば国の施策になったのです。

現在日本ではがんと末期心不全、AIDS(後天性免疫不全症候群)のみの保険適用ですが、今後ますますの拡大が望まれるような途上にあると言えるでしょう。

いずれにせよ、誰もが自分の望む人生を送りたい、と願う現代において、より良き生を支え、また特に医療・介護分野の意思決定も支える緩和ケアは、ますます求められている要素・分野であると考えられます。また老いによる不可避の機能低下を前に、どこまで治療やケアを行うのかという観点からも、その選択や決断を支える緩和ケアは重要でありけると予測されます。