※本稿は、中山富雄『知らないと怖いがん検診の真実』(青春新書)の一部を再編集したものです。
悪さをしない「おとなしいがん」が治療対象に変わった
もう30年ほど前になりますが、医学部の病理学実習で70~80歳の男性には前立腺に8割方、小さながんがあると教わりました。
なんらかの病気でお亡くなりになった高齢の男性を調べると前立腺がんが見つかることは珍しいことではありません。亡くなったあとの解剖で見つかるがんをラテントがんといいます。生前にはなんら悪さをしなかった、いわば「おとなしいがん」です。
高齢男性の前立腺にできた「おとなしいがん」は症状もなく診断されることもなく、ご本人はがんの存在に気づかずに天寿を全うなさいます。がんを持っていても、必ずがんで命を落とすわけではないのです。高齢男性にはたいてい前立腺がんがあり、そのほとんどが「おとなしいがん」であることは医者にとって常識でした。
ところが、私が医者になってしばらくすると「前立腺のおとなしいがん」を取り巻く環境が変わり始めます。
前立腺にあるタンパク質の一種であるPSA(前立腺特異抗原)を測定して、前立腺がんを早期発見できるようになったのです。採血だけという手軽さや、メディアでの紹介もあってPSA検査はどんどん広まっていきました。
確かに、PSA検査の精度は高く、多くの方にがんが見つかりました。
精度が高いので本当に小さながんも見つかります。しかも、その多くがお年寄りです。30年前の解剖の授業ですでに常識として語られていた「高齢者の前立腺にはたいていおとなしいがんがいる」という状況を肯定する結果です。
当時と状況が異なるのは、おとなしいがんであるはずの高齢者の前立腺がんが、「早期発見」されたばかりに治療対象となってしまったことです。
PSA検査が浸透して前立腺がんはどんどん見つかっていきますが、患者数の増加に見合うだけの死亡率の大きな変化は見られませんでした。
早期発見・早期治療が奏功するがんを発見していたのであれば死亡率は大きく減少するはずなのに、死亡率はほんの少し減ったかなという程度だったのです。つまり、治療など不要な「おとなしいがん」が大量に発見されてしまったことを意味します。
患者数の増加と死亡率の変化が噛み合っていないことから、PSA検査は過剰診断に走りがちとの認識を持つ医療関係者も出てきて、検査の扱いを検討する議論も見られるようになりました。
さて、がんを手術や放射線などで治療することを「根治療法」といい、検査をしながら病気の進行を見守り、病状に応じて根治療法の時期を見極めることを「監視療法」といいます。
前立腺がんの10年間の死亡率が監視療法と根治療法で差がなかったことが明らかになり、現在では前立腺がんに対してはPSA検査の数値の変動を定期的にチェックする監視療法が取られるようになっています。