生活の質を保って生きる術はあった

通例、それまでの同じ病態の患者さんがこのように穏やかに逝かれることは少なかったのです。それが緩和ケアを行ったことで激変したわけですから、大変驚きました。

Iさんの例は、私が診てきたがんの方の経過とはまったく異なっていました。苦痛をこれほど和らげられる、ということが最大の驚きでしたし、何が本人にとって最良なのかという視点で何度も皆で話し合いを重ねたことも強く印象に残りました。結果として、本人も苦痛が緩和され、そして本人の意思に沿う形で医療を上手に使えたこともそうでした。

つまり、より苦痛が少なく、生活の質を保って生きる術はあったのです。それが知られていないために、治らない病気にはなす術がない、という従前の状態と理解であったということです。以後も、緩和ケアを提供するたびに、それまでより患者さんの状態が良い方向に変わることがほとんどでした。当時の常識で、それは驚くべきことでした。

どのような重篤な病気でも、できることは必ずある

私は消化器内科医の道を進んでいましたが、この医療をもっと広げる必要がある、そしてそれにより、多くの方を助けられればと思い、緩和ケア医として歩むことを決意しました。その後は、専門病院で研修し、在宅や大学病院、様々な場で緩和ケアを提供してきました。直に関わったがんの患者さんは3700人以上で、末期の患者さんも2000人以上拝見しています。

その中でより痛感したこと。

それは、どのような重篤な病気であろうと、本人が納得した人生の終わり方を迎えるために「できることは必ずある」ということです。

ケアを受ける高齢女性の手
写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn
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「もう手がありません」そのように医療者から告げられたという嘆きや悲しみを聞くことは今でもしばしばあります。確かに病気を治すための治療がもう難しい場合だってあるでしょう。しかし、人生の与えられた最後の一分一秒まで、それをより良くするために支える手段は何かしらあるのです。そのような意味で「できることは必ずある」のです。

ある人にとってそれは会いたい人に会うことだったり、行きたいところに行くことだったり、やり残したことをやることだったりするでしょう。それを支える方法は何かしらあるものです。そして実際にそれがもし叶わなかったとしても、悔いが残らないように、相談し一緒に悩むということが大切なのです。生活の質を上げるため、症状を緩和するため、その方策というのは、どんな状況においても存在するのです。

大切なことは、それを緩和ケア医と患者さん、そしてご家族の方々と一緒に考えることです。

しかしながら、緩和ケアは看取りだけの医療と捉えられていたり、死ぬことと同義に思われていたりなど、まだまだ誤解も絶えません。