情報量の多い名刺は「やりすぎ」なのか

【角田】ほらみて、僕の名刺って裏側に死ぬほど書いてあるじゃん。あれは「僕っていうのを全部知った上で、僕とどう付き合うかを判断してよ」っていうメッセージなんだ。パラレルな情報を提示するよりもさ。

僕はそっちで考えちゃう人間なのかもしれない。「名刺は人格だ」って言ってることと一緒だから。自分の分人がいろいろいるというのも含めて、「これです」って出したほうが話が早いのよ。「私のこの部分は知ってるけど、この部分は知らないんですよね」みたいな人とのやり取り、面倒くさいんだよ。「ああ、この部分って説明してませんでしたっけ」みたいな。

【加藤】蛇腹みたいになってて本当にいっぱい情報が入ってる名刺もあるじゃない。そういうのどう思う? 「やりすぎだ」とか「そんないらねえんじゃねえか」とか、「いや、すごいいいんじゃない」とか。

【角田】それねえ、僕は、本とかCDとかもそうなんだけど、定型を崩されるのが異様にむかつくんだよね。CDとかでも時々、大きかったりしてCDラックに入んなかったりするじゃん。「順番通りに並べたいのに」とか思うんだよね。

ユーミンとかは昔からよく分かってて、一枚目からデザインも一緒でさ。そういうふうにやってくれる人のほうが僕ははるかに好きだから、「名刺入れに入らない名刺とか、本当にやめてよ」とか。正方形とかで作ってるとか、もう面倒くさい。だってなくなっちゃうもん。

「メタ情報としてどう相手に伝わるか」のほうが意外に大事

【加藤】形は別にしても、情報の量はどう?

【角田】情報の量は、「人格をどこまで説明したいか」が分かるから。

ちょっとだけ話は変わるんけど、ジブリの鈴木敏夫さんが「感想文よりもあらすじを書かせたほうが、その人がどこに着目したか分かる」って言ってた話をしたじゃんか。名刺もね、そのような意味だと思うの。「どこまで書いてあるか」ということよりも、「この人は『どこまで書いた』ことを選ぶのか」ということで、その人の着眼点が分かる。あらゆることについて、僕はそういうことを思っててさ。

鈴木敏夫さんが言うのも、あらすじがどうかを知りたいんじゃなくて、「この人にとって、こういうふうにあらすじを説明するんだ」ってことでしょう。その人の説明の上手さも分かるし、着眼点や視点の違いも分かるから。

二枚めしか出さないで一枚めを出さない人、つまり一枚めの情報を出さないで二枚めの情報だけで名刺を渡す人がいるんだったら、「あ、この人はだから、元々の本業については隠したいんだな」とか「コンプレックスを持ってるんだな」っていうのが僕にとっては一番大事な情報。メタ情報、タグ付けが大事ってことか。その名刺自体に何を書くかは本当にあなたの自由でよくて、それがどういうふうにメタ情報として相手に伝わるかのほうが、意外に大事ですよ、みたいな。

だから僕の名刺の裏とかに死ぬほど書いてあるっていうのは、「死ぬほど書いてある」っていうネタがバラエティっぽいからっていうこと。なおかつ、死ぬほど書いてあるんだから、名刺の裏側を読んだ人は、初対面の人でも打ち合わせしてたら、少なくとも「こういうことやってる人なんだよね」って分かった上での話になるから、そのあとの打ち合わせが楽なわけですよ。「じつは本書いてまして」みたいな紹介は要らない。「書いてるんです」って分かった上での話のほうが早いから。