今年で44回目となる「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ)が8月21、22日に放送された。ライターの吉田潮さんは「例年のお涙頂戴風味は薄まったが、コンテンツがあまりにひどかった。これでは募金リレーでなくて接待リレーではないか」という――。
日本テレビ(東京都港区、2020年5月29日)
写真=時事通信フォト
日本テレビ(東京都港区、2020年5月29日)

盛り上がりに欠けた今年の24時間テレビ

久しぶりに「24時間テレビ」(日本テレビ、8月21~22日放送)を観た。感染防止のために無観客かつ最小限の人数で、世間的にも盛り上がってはいなかった気がする。このコロナ禍で放送する意義を問う声も多かったようだが、さてその評価は。

そもそも私はここ数年、視聴から離れていた。城島茂が満身創痍で101km走った2014年まではうっすら覚えているのだが、障がい者や病気の人に「人への感謝を要求する」姿勢がどうにも苦手だったから。

いつだったか、目の不自由な少女がトライアスロンに挑戦する企画があったのだが、司会が周囲の人への感謝と謙遜の気持ちを引き出す質問ばかりをぶつけていた。彼女は「私は幸せな女。楽しかったから、よかったです」とさらっとかわしていたけれど。

そう、苦手なのはそこね。清く正しく謙虚というのは人として大切だが、24時間テレビは障がいのある人にそれを強要する傾向が強かった。そして涙の物語へと築き上げる映像。これについてはNHK Eテレの「バリバラ」が「感動ポルノ」として違和感を番組で取り上げたこともある。今年も裏番組で生放送やっていたね。

では、今年はどうだったか。ハンディキャップのある子供や病気と闘う子供が明るく前向きに、という企画は相変わらずだが、以前に比べて感謝や感動を要求するお涙頂戴風味は薄まった。ただし、他の懸念がある。私が感じた問題点はふたつ。

アスリートを何だと思っているのか

まず、「アスリートへのべったり依存」である。もちろん東京五輪直後ということもあるが、メダリストやアスリートを大勢呼びつけてコンテンツの肝としたところに不安がある。

「清く正しく謙虚」を要求する矛先をアスリートに変えただけではないか。心身ともに鍛え上げたアスリートたちは、たぶん一般の人よりも意識は高い。「人の役に立ちたい」「恩返しがしたい」「応援してくれるみなさんのために」「元気と勇気と笑顔を届けたい」……。

ただでさえ過酷な闘いを自分に課してきたアスリートに、さらに聖人君子たれ、と押し付けすぎではないか。

汚れた心で言わせてもらえば、アスリートの「バラエティ的素質」みたいなものを求める日テレの魂胆も垣間見える。現に日テレの番組でレギュラー出演する元アスリートは多いもんね。「受け答えが軽妙」「流行語になりうるキャッチーな言葉」「製品の消費につながる発言」ばかり欲しがる日本のメディアも問題だけど。

個人的には、インタビューに爽やかな笑顔で名言を残すアスリートよりも、詰まったり言葉が出てこなかったりするアスリートのほうが胸に残る。テレビ局がカットしてしまうようなインタビューのほうが真に迫り、アスリートの思いが伝わるから。東京五輪で言えばアーティスティックスイミングの吉田萌選手。競技後のインタビューで言葉を発せなかった姿がとても印象的だった。悔しさも自責の念も胸に秘めた思いもぐっと伝わってきた。だからこそ今後も応援したいと強く思ったのよね。

それにしても「募金リレー」の意義がよくわからなかった。一人10km、10人の走者で100km走る。これが募金とどう関係があるのか。感染防止対策として、このスタイルが提案されたと聞くが、正直、募金とは関係ない。そこまでして「走る」ことにこだわるのはなぜか。ここもアスリート頼み。最初と最後はジャニーズで見せ場をかっさらう。おやおや。募金リレーじゃなくて接待リレーだね。