ソフトバンクで、事業開発統括 投資事業戦略本部の部長として7名の部下を、WeWork Japan合同会社のヴァイスプレジデントとして約150名の部下を束ねる小齊平康子さん。現在は飾らないマネジメントをこころがけていると話す小齊平さんには、部下との接し方を変えるきっかけになった苦い思い出があるという――。

中学生のころから変わらぬ夢

ソフトバンクでは、キャッシュレス決済の「PayPay」、タクシー配車プラットフォームの「DiDi」、シェアオフィスの「WeWork」など、投資先企業と連携することで新規事業を展開している。AIテクノロジーやビッグデータの技術を駆使したビジネスモデルの創出だ。その推進を担うチームで活躍する小齊平さんには、ずっと変わらぬ夢があった。

「新しい価値を生み出すことで、社会に役立つ変化を起こしたいのです」

ソフトバンク 部長 小齊平 康子さん(WeWork Japan G.K:ヴァイスプレジデント)
撮影=プレジデントウーマン編集部
ソフトバンク 部長 小齊平康子さん(WeWork Japan G.K:ヴァイスプレジデント)

中学生の頃は新聞記者になりたかったと話す小齊平さん。記事を通して社会問題を解決したいと考えていたという。大学時代は政治に関心をもち、議員の事務所で働いたこともあった。将来は新聞記者、政治家。それとも……と思い悩んでいたとき、ゼミの先生に勧められたのがコンサルタントの仕事だった。民間の現場でこそ生み出せる新たな価値があるんじゃないか――と。

小齊平さんは新卒で船井総合研究所へ入社。3年勤めた後、外資系のデロイト トーマツコンサルティングへ。そこでの6年間はまさに山あり谷ありの日々だった。

猛烈に忙しい日々の中、訪れた失明の危機

「事業再生やM&A、経営統合などを数多く経験し、毎日とても充実していました。猛烈に忙しいことも平気だったのですが、入社3年目の頃から徐々に目が見えにくくなったのです。視野が欠けていくのがわかり、自転車に乗ると転んでしまうように。さすがにまずいと思って病院へ行っても、原因がなかなかわからない。いずれ失明するかもしれないと告げられたときは衝撃を受けました」。

病院を転々として、最後にたどりついたのは視神経眼科の専門医だった。そこで初めて目に帯状疱疹ができる稀有な症例であると診断を受け、治療を開始。回復の兆しが見え数カ月間の休職を経て復帰したが、その先のキャリアには迷いがあった。

「仕事は楽しいけれど、私は一生コンサルをやっていきたいのか、と。クライアントと一体になって合併できた、買収に成功したなどと喜んでいるつもりでも、やはりどこか自分事ではないのです。わたしも事業の当事者として、自分の会社に愛着を感じながら、新たな価値を生み出す仕事がしたいと思うようになりました」