「それまでは地道なコンペ生活でしたが、あの安室さんに書いた岡嶋という感じで、仕事の内容が濃くなりました。指名で依頼をもらうことも増えましたし、コンペもあらかじめ人数を絞ったハイレベルなものに声をかけてもらえるようになって」

『Steal My Night』が発売された時、岡嶋さんはまだ25歳。当時も今も、20代半ばで国民的歌手と仕事をする作詞家は珍しい。新進気鋭の作詞家とバンドのボーカルという二足のワラジ生活で、日々はあっという間に過ぎていった。

「世界で売れる作家になります!」

転機が訪れたのは、2012年3月。知り合いの音楽作家事務所の社長に声をかけられて、8日間、スウェーデンに行った。そこで、現地のトップクラスの作曲家と組んで毎日ゼロから1曲作り、歌詞を乗せてレコーディングまでするという「コライト」(Co-Write)に臨んだ。

音楽プロデューサー・岡嶋かな多さん
人気アーティストの作曲を手掛けるMeaganとコライトした時のスナッフ゜(写真=岡嶋かな多さん提供)

午前中にスタートして、スタジオを出るのは夜中。観光する余裕などまったくないスケジュールだし、会話がすべて英語で苦労もあったものの、音楽を愛する者同士、なんの制約もなく自由に音楽を作るという時間は刺激的なうえに心の底から楽しいと思えるもので、岡嶋さんは「雷に撃たれるような体験で、とにかく最高の日々でした」と振り返る。

ちなみにコライトは遊びではなく、作った楽曲を現地の音楽事務所に提案したり、コンペに提出したりして、ビジネスにつなげる取り組みで、みな真剣勝負。忘れがたき8日間をもう一度味わおうと、その年、岡嶋さんは3回も渡欧し、コライトにのめり込んだ。そのうちに、とても大切なことに気が付いた。

音楽プロデューサー・岡嶋かな多さん
写真=岡嶋かな多さん提供
現地のミュージシャンたちとコライトする様子

「私、中学校1年生の時のカラオケがあってから、人前でパフォーマンスするのが好きだし、それが使命だと思っていたんです。だから自分はステージの上に立っていなきゃいけないと思ってたんですけど、コライトをしていたら、みんなでああでもない、こうでもないと言いながらアイデアを出し合う時間が一番好きなんだってことに気づいたんです。バンドをやっていたのも、みんなで曲を作るのが楽しかったからだって」

スウェーデンにて(写真=岡嶋かな多さん提供)

初めて参加したスウェーデンでのコライト。この時、雷に打たれた(写真=岡嶋かな多さん提供)

かつてない充実感を得た1年が終わる頃、最初にコライトをしたスウェーデンの音楽事務所から、「スウェーデンに移住して、私たちと一緒に活動しませんか?」というオファーが届く。

日本ではバンド活動を続けていたが、「6年間、やりきった」という想いもあり、解散。それからすぐに部屋を引き払い、余分な荷物はほとんど捨て、「自分の後ろの橋を燃やして」、2013年9月、29歳でスウェーデンに渡った。友人たちが開いてくれた送別会では毎回、こう宣言した。

「世界で売れる作家になります!」