原発の社員食堂からコンビニ店長へ

この年で43歳になる黒澤は調理師免許を持つ「鳥藤本店」の社員で、震災前は福島第一原発の社員食堂で働いていた。同社は第一原発だけではなく、第二原発でも食堂を運営しており、当初の炊き出しを振り出しに自動販売機の飲料の補充業務など、原発関連施設をめぐる「飲食」に事故後も携わり続けてきた。そんななか、大型休憩所にコンビニエンスストアを出店する際、店長として指名されたのが黒澤だった。

店のオープンから時間が経ち、青と白のストライプ模様の制服を着て働く彼は、今ではすっかり事務棟での有名人の一人だ。棟内を歩くと、防護服姿の作業員たちから次々に声をかけられ、その度に「お、ご無沙汰していますね」「元気にしてました?」と笑顔でちょっとした会話を交わす。

「異動していなくなっていた人が戻って来て、『久しぶりだね』と言われたり。お客様が顔見知りばかりになってくると、お会計の流れもスムーズになっていきますね」

2016年の開店時は、不機嫌なお客も多かった

だが、報徳バスの運転手の海辺が語っていたのと同様、ここでも2016年の開店時は「とても良い雰囲気とは言えなかった」と彼は言う。

ローソンのフランチャイズ研修を受けたとはいえ、全く初めてのコンビニ経営である。

「最初はめちゃくちゃでした。お客様に『申し訳ございません』と言いっぱなしで──」と彼は快活に笑った。

構内に食堂や店がなかった頃、いわき市内や6号線沿いの路面店で弁当を買うしかない作業員たちにとって、コンビニエンスストアの開店は待ち望まれた職場環境の大きな変化だった。オープン当初は開店時間前から防護服姿の客がずらりと並び、慣れないレジ打ちを懸命にこなす黒澤やスタッフたちは、「立っているのもやっと」というくらいに疲労困憊こんぱいした。

「それに当時の原発の構内は、今よりもずっと雰囲気が悪かったんです。すごくぴりぴりしていて、ぶすっと不機嫌で疲れているお客様も多かった。休憩所でもみんな疲れ切っていて、最初はとても暗い感じだなと思いましたね。何度も怒られ、文句を言われつつ、なんとか前を向いて走ってきたんです」