ヤングケアラーの苦悩
湖西さんは、祖母と暮らしていることは中学や高校の友だちや担任の先生に話していたが、自分も介護をすることがあるということは誰にも話していなかった。10代で介護をしているのは自分くらいだと思っていた湖西さんは、話したところで、誰もわかってくれないと思っていたからだ。
「私にとっては、自分の時間に制約を受けることが何よりつらかったです。私と母は祖母に合わせた生活をせざるをえない状況だったので、介護していない人の自由さに、いつも羨ましさを感じていました」
湖西さんは中学生の頃から、祖母の朝と夕方のデイサービスの送迎や、帰宅の遅い母親に代わって夕食の支度、祖母の食事の介助を担い、高校生となった2017年頃からは、オムツの交換も行ってきた。
「頼んだことができていないと、母はいちいち祖母に怒りました。高校受験の頃はまだそこまでではなかったのですが、大学受験の頃は祖母の症状が進み、2人が口論する声で受験勉強に集中できないことが少なくありませんでした。母も私も、かなりストレスが溜まっていたと思います」
祖母と母親は普段は仲が良いが、どちらも気が強く頑固なところがあり、ささいなことで口喧嘩になる。そんなときは決まって、湖西さんが仲裁に入った。
「やはり母一人で介護をさせることは心苦しいので、手伝わないわけにはいきません。かといって、この生活がいつまで続くのか、終わりが見えない状況は、本当に苦しかったです。『就職してからもこのような生活が続くのだろうか?』などと考えることが多くなり、私自身、精神的にかなり追い詰められていたように感じます」
ひたすら耐えるしかない。そんな日常に、湖西さんの心身も削られた。インターネット上で見つけた「うつ病チェック」を何気なくやり始め、途中でやめたこともある。
介護に関する悩みや不安は、母親はケアマネージャーやデイサービスの職員などに相談していたようだが、湖西さん自身は誰にも相談していない。また、湖西さんと母親は、介護に関する相談や愚痴をお互いに言うことは、ほぼなかった。
湖西さんと母親は、介護疲れやストレスからイライラすることが増え、口論になることが頻繁に。するとさらにストレスが増える……という、悪循環に陥り、家の中はギスギスした空気が充満していた。(以下、後編続く)