国会にゆだねられた選択的夫婦別姓
夫婦別姓に対する最高裁決定に話を戻そう。今の最高裁判事の15人が「ほんとうに優秀で誠実で勇気のある裁判官」かどうか、私には判断する材料がない。
たしかなことは、15人のうち違憲という判断した4人は「新しい判例」に踏み出すべきだと考えたが、残る11人は「今回の事案は新しい判決に踏み出すことでしか救えないほどの切迫した不公正とは言えない」と考えたということである。彼らの立場からは「この種の制度のあり方は国会で判断されるべきだ」という結論になる。
私が言いたいのは、11人の判断が正しいということではない。むしろ11人の夫婦別姓問題に対する時代感覚はずれていると思う。
しかし、裁判所というものはそもそも「いま目の前にいる人を救うための場所」なのだ。安倍前首相らが固執する「夫婦同性」か、国民世論の過半数が支持する「選択的夫婦別姓」かという政治的対立を決着させる場所ではないのである。今回の最高裁決定は「今回の審判を申し立てた夫婦の敗北」であっても「選択的夫婦別姓の敗北」ではないのだ。
夫婦別姓を強要されて苦悩するこの国の多くの人々は、民法を改正すれば一瞬にして全員救われるのだ。これこそ裁判所ではなく、唯一の立法機関である国会の役割ではないか。
選択的夫婦別姓を望む人々は今回の最高裁決定に落胆しないでほしい。裁判所も国家権力のひとつだ。過度に期待してはいけないし、国民が直接選んでいない裁判官が何でも介入してくる世の中はかえって恐ろしい。裁判所の役割は「いま目の前にいるひとりの人間を救うこと」なのである。
時代遅れの政治家には退場してもらおう
選択的夫婦別姓は、裁判ではなく、政治で実現されるべきものだ。先人たちが苦難の歴史を重ねて勝ち取ってきた「参政権」と同じように、国民が自らの手で勝ち取る権利なのだ。何も恐れることはない。世論の過半数は選択的夫婦別姓に賛成だ。あとは行動に出るのみである。
秋に総選挙が迫っている。これは総選挙の争点にして決着させるべき問題であると私は思う。選択的夫婦別姓に賛成の人々は、今回の最高裁決定を機に政治に関心を持ち、選挙で投票するだけではなく、選挙活動に参加してみてほしい。
政治家や政党に、選択的夫婦別姓を公約に掲げるよう強く迫り、最も実現してくれそうな政治家や政党を具体的な行動で応援してみてほしい。逆に反対する政治家を一人でも多く落選させるように行動してほしい。知人に投票を呼びかけるなど、ちょっとしたことでいい。それが選択的夫婦別姓を実現させる王道であり、民主主義というものだ。