経団連会長が経済財政諮問会議から外されたワケ
経団連会長が「任期途中」という異例の交代を迎えた。リンパ腫の治療に専念するため中西宏明会長(日立製作所会長)が退任し、後任には住友化学の十倉雅和会長が就いた。
経団連で同じ企業から複数の会長を輩出したのは新日本製鉄(現・日本製鉄)、トヨタ自動車、東芝のみ。住友化学の社格はこの3者に比べると軽い。さらに住友化学には3代前の米倉弘昌氏が会長だった時代に、経団連の体面を著しく損なった「前科」があるといわれる。
自民党が政権奪取に邁進していた総選挙の公示直前の2012年11月。米倉氏は当時の安倍晋三・自民党総裁が公約に掲げた金融緩和政策を「無鉄砲」「禁じ手」と痛烈に批判。この発言に激高した安倍氏はこの日以降、米倉氏を「あの人」と呼ぶようになり、政権と経済界の対話の場だった政府の経済財政諮問会議から米倉氏を外した
「製造業出身で非財閥」という経団連会長の選定の不文律から外れた最初の会長として、存在感を見せようとの思いがあったようだが、それが空回りした。次の東レ出身の榊原定征会長は政権との関係回復に動き、その結果、経団連には「政府の言いなり」とのレッテルをつけられてしまった。
「銀行や商社から選ぶと、同業他社が支えてくれない」
そうした因縁のある住友化学に会長輩出を頼むしかないほど、経団連の人材不足は深刻となっている。
今回、十倉氏が選ばれた理由はいくつかある。「十倉氏は米倉氏の秘蔵っ子で、経団連の活動もよく知っていた」というのが表向きの解説だ。中西氏と同様、経団連での活動は長く、米倉氏の後を受け、副会長、さらには審議委員会の副議長も務めた。「中西氏と接することの長かった十倉氏は中西氏からの信頼も厚かった。安心して自分の敷いた路線を継承してくれると思ったのだろう」(経団連事務局)とされる。
しかし、中西氏にとって十倉氏を自分の後継に選んだのは「次善の策」だったに違いない。次期会長の候補となる当時の副会長の顔ぶれを見ると、「製造業で非財閥系」の基準を満たすのは日本製鉄やトヨタ自動車、コマツくらい。日本製鉄やトヨタは新型コロナウイルス感染の影響で落ち込む業績を回復するために社業に専念したいとの理由で会長職を出すのを頑なに固辞した。
残るは銀行や商社だが、「『仮に銀行や商社から次期会長を選んだ場合に、同業他社の企業が支えてくれないだろう』との懸念を漏らしていたという」(同)。結局、消去法で「財界内に敵が少ない」十倉氏が就任することになった。