「報道や取材の自由の範囲を逸脱している」と産経社説

朝日新聞や毎日新聞の主張に異を唱え、防衛省の肩を持つのが5月20日付の産経新聞の社説(主張)である。見出しからして「『報道の自由』に値しない」と挑発的だ。

書き出しはこうである。

「結論からいえば、これは認められない。憲法が『公共の福祉に反しない限り』と定めた報道や取材の自由の範囲を明らかに逸脱している」

産経社説が言うように、本当に報道の自由の範囲を越えているのか。事実かどうかを確認し、問題があれば読者や視聴者に伝えるのが報道機関の使命である。この産経社説を書いた論説委員は取材という確認作業の重要性をどこまで理解しているのか。防衛省や岸防衛相の発表や発言など政府側の主張を鵜呑みにするだけで、疑うことはしないのか。それでは記者失格である。

産経社説は指摘する。

「防衛省はシステム改修を行うことを決めたが、報道時点では不正アクセスができるままだった。歯止めがないままの架空入力の手口の実例の指摘は、悪質行為の教唆、奨励と読むことも可能で極めて重大な事態を招きかねない」

「悪質行為の教唆、奨励」。この批判は防衛省の主張そのものだ。防衛省の主張を公共性が高く、社会の公器といわれる新聞の社説が代弁するのは問題である。産経社説は取材対象である防衛省と一体になってしまっている。

「逆張り」の代償は高くつくはず

産経社説はこうも書く。

「自治体との二重予約が防げないなど、システムの不備はある程度織り込み済みで、広範、迅速性を優先させたと解すべきである」

これも政府の代弁に過ぎない。産経社説は自らが政府そのものだと言わんばかりだ。政府の代弁をするだけなら、新聞を読む価値はない。自身の価値を貶めていることを理解しているのだろうか。

産経社説は最後に「新型コロナの克服は、時間との戦いだ。遺漏のないシステム構築に時間がかかるなら、これを犠牲にしてでも接種を急ぐことは緊急時の判断として妥当である。悪意の助長はこれを妨げるものだ」とも書くが、なぜ菅政権が接種を急ぐのかについて言及せず、その正当性ばかりを強調するのは異様である。

批判精神を失ったメディアは、読者も失うことになる。産経社説は毎日新聞や朝日新聞出版の「逆張り」を試みたのだろうが、その代償は高くつくはずだ。残念である。

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