絶対に宿題をやってこなかった2人

それから数週間、秋が深まりつつあるなかでジョブズ(たまにウォズニアック)はマークラの新居に通ってアドバイスを仰いだ。新居は大きく、旧居から数ブロックしか離れていなかった。

2人がマークラに会うのは、裏庭のプールサイドに彼が建てた脱衣所の中だった。ウォズニアックは新居を見て感激した。「丘の上に建つ美しい家からきらきらと輝く夜のクパチーノを見下ろせる。素晴らしい眺めと素晴らしい奥さん。完璧でした」

ミーティングのたびにマークラは宿題を出した。競争相手は誰か? 利益はどのくらい出そうか? 社員はどうするのか? どのくらいの成長スピードを考えているのか? 2人はビジネスプランの中でこれらの質問にきちんと答えられなければならない。そうでなければ持続可能な会社を立ち上げるのも難しい。

ジョブズはどうしたのか。いつも宿題をやらずにミーティングにやって来た。

数週間経過してマークラは理解した。2人がビジネスプランを書くことはないのだ。どうしてなのか。ウォズニアックはヒューレット・パッカード(HP)社員であるから、起業には関心を抱いていなかった。自由にやっていいと言われたら、おそらくアップルⅡのデザインを無償で手放したか、原価で売り払ったことだろう。

一方、ジョブズは起業に意欲を燃やしていながらも、1976年秋時点では「バイトショップへ基板を納品して、稼いだカネで部品を買って、より多くの基板を作る」というビジネス以外は想像できなかった。弱冠21歳で会社勤務歴15カ月(15カ月はすべてゲーム会社アタリで下級エンジニアとして働いた期間)では、宿題にまともに答えられないのも仕方がなかった。

自分がビジネスプランを書くしかない

では、どうやってビジネスプランを作成したらいいのか。自分でやるしかない、とマークラは思った。アドバイスしてきた起業家のためにビジネスプランを書いたことはそれまで一度もなかった。ビジネスプランを書いてあげようと思うほどのポテンシャルを秘めた起業家に出会えていなかったともいえる。

アップルのビジネスプランを書けば、引退後は月曜日だけビジネスについて考えるという自己ルールを破る格好になる。しかし、ウォズニアックとアップルⅡを放っておくわけにはいかなかった。ジョブズも「ダイヤモンドの原石」のように見え、やはり放っておくわけにはいかなかった。