手術後3週間で復帰するも、2年後に再発

加えて、看護師の仕事も大好きだった。そもそも、この職を選んだのは同じく看護師をしていた母親の影響。幼い頃から、職場でのできごとを楽しそうに話す母の姿を見て育ち、いつしか「看護師ってすてきな仕事なんだな」と思うようになった。

「母は私が生まれた後もすぐ復帰していました。私がある程度成長した後は夜勤も再開して、70歳になった今も病院で働いています。だから私も、看護師の職に就いた時は一生続けるつもりでした」

だが、現実は厳しかった。手術後は約3週間で復帰したものの、その2年後に病が再発。手術と放射線治療を受け、半年休んだ後に再度復帰したが、頭痛やめまいなどさまざまな副作用に苦しんだ。鎮痛剤のロキソニンを飲みながら働く日々が続いた。

闘病を支えてくれた同僚たちへの感謝から、「できる限り皆の役に立ちたい」「がん経験者として気づいたことを伝えて恩返ししたい」と頑張ってきた柴田さん。しかし、「できる限り」の範囲が段々と狭まるにつれ、恩返しのためのアクションとして他の道を模索するようになった。

術後に残った顔のマヒ…友人との食事を避けていた

これがのちの起業につながる。以前から柴田さんには、術後の顔のマヒから口を大きく開けられないという悩みがあった。食事の際には食べ物が口からこぼれてしまうため、人に見られるのが嫌で、大好きだった友人との外食も避けるように。外出時も顔を隠すためのマスクが手放せず、つらい思いをしていたという。

そんなネガティブな気持ちが好転したのは2度目の復帰後だ。インターネット上で同じ病気を抱える仲間たちと出会い、体験や気持ちを共有できたことで「一人じゃない」と思えるようになった。

「世の中には私よりもっと困っている人がたくさんいると知って、皆が誰かと一緒に食べる楽しみを味わえるようになったらいいのにな、何かを我慢することなく笑顔になれたらいいのにな、と思い始めたんです」

最初に思いついたのは、同じ悩みを持つ人たちが気軽に集まれるカフェを開くこと。看護師としても、がん経験者としても、病気で外見が変わった人たちには誰かと一緒に食べたり笑ったりできる場が必要だと感じていた。

もうひとつのアイデアは、自分の悩みでもある“食べにくさ”を解消するカトラリーをつくること。市販のものはサイズや厚みが合わないため口に入れにくく、かといって医療用品や福祉用品はデザイン性の面でいまひとつ。そうした理由が重なり、「なければつくっちゃおう」という気持ちが強くなっていた。