イラストレーターとは完成まで一度も会わなかった

――完成した絵本では、オザワミカさんの絵と桜木さんの文章がマッチし、哲学的な内容が頭に自然に入ってきます。

【桜木】繊細な線と色だけで描き出すイラストがすてきですよね。絵本を作ることになって、編集者さんから「桜木さんに合うと思う」と勧められたのがオザワさん。その瞬間「この人だわ」と直感が働いて、もう「お願いします!」という感じでした。そして、すばらしい絵に仕上げていただきました。表紙のイラストは、孫の女の子で、この子もおばあちゃんもお母さんも、みんなこんな横顔を持っていたなということをはっきり教えてくれる。輪郭線が1mmずれても出てこない絶妙な表情なんですよ。

——絵に合わせて文章を変えたところもあるのでしょうか? コロナ禍の中での制作はどのように進めましたか?

【桜木】この絵なくして私は言葉を削いでいけなかったし、絵ができてきてからも、文章を何度も書き変えました。私もオザワさんもお互いに相手の創作の邪魔をしないようにと思い、編集者を通してメールでやり取りしていたので、実際には完成するまで会っていないんです。でも、それはこれまでたくさんの作家と画家を見てきた編集者の戦略で「制作途中で実際に会ってしまうと、良い意味での戦いがなくなると思った」そうです。私とオザワさんの感想は、「うまいことやられたな」と(笑)。

名前と顔を忘れられても

――“さとちゃん”が自分の娘の名前を忘れたことについて、「ママはかなしくはないんだけどね」と、娘である少女に語ります。桜木さんもお母さんが認知症であり、娘さんがいらっしゃるそうですが、実体験が含まれているのでしょうか。

【桜木】母親が私の名前を忘れたというのは本当に起こったことです。実際にうちの母が私の名前を忘れたとき、悲しいと思わなかったんです。忘れられたということはこちらが抱く感情なので、忘れゆく人に負担をかけない私でいたいと思っています。ただ、それは私と母のこれまでの歴史あってのことだから、万人に伝わる感覚ではないですよね。すべての人が親に忘れられて悲しくないわけがない。

うちの母は辛い過去がいっぱいあって、記憶が非常に重たい人でした。けれど、母の体はその記憶という“荷物”を下ろし、女の人としての輝かしい記憶は鮮明に残して、“かわいく”老いることを選択した。今は父が毎日そばにいてくれるのがうれしいそうなんです。これは彼女なりに悪いことじゃないと思うし、絵本に書いたように、うちの娘とも「忘れて楽になるならいいよね」という話をしました。