「君はどんな飲食店を経営してるんだ?」
オーナーは神々しいほどのオーラを放っていた。年齢は60代前半。台湾を代表する茶人であり、書道家、写真家としても名を馳せる超一流の芸術家。そして、カリスマ経営者だ。そんな物凄い人を目の前にして足の震えが止まらなかった。オーナーは聞いてきた。
「君は日本でどんな飲食店を経営しているんだ?」
「いいえ、水道の仕事をしています」
「えっ? 水道の仕事? 飲食店もしてるんだよね?」
「いいえ、一度もしたことはありません」
オーナーは驚き、そして大声で笑った。飲食のまったくのど素人からのオファーははじめてだったようだ。それでも僕の提案書を高く評価してくれた。時間を忘れてたくさんの話をした。どうやら、僕のことを人として気に入ってくれたようだった。そして日本での展開が……そう簡単に決まるわけがない。
春水堂の幹部たちから、毎月、毎月、たくさんの難解な宿題を出された。品質維持のオペレーション、従業員の教育計画、店舗設計プラン、日本で失敗した時ブランドの毀損をどう保証してくれるのか、などなど。ただでさえ難しい宿題の山だったのに、専門用語だらけ。
しかも翻訳すると微妙に意味が変わってしまう。気が遠くなるような作業の連続だった。実は、幹部たちは、僕に任せて日本で展開することに大反対だったのだ。
評価してくれたのはオーナーひとりだけ
「よくわからないあんな若い奴にやらせるなんて、とんでもない」「春水堂は、ただでさえ海外に出たことがない。それなのに、飲食をしたこともない素人にさせるのか?」
オーナーは僕のことを「面白い奴」と評価してくれていた。ただ、評価してくれたのはオーナーひとりだけだった。
そして1年間、宿題を出されては回答を提出して、ダメ出しの繰り返し。それでも僕は挫くじけなかった。春水堂を日本に持っていけるのは僕しかいない。諦めなければ、いつか道は切り開くと信じていた。ただ、その道は果てしなく険しかった。ある時、台湾での経営会議に呼ばれた。
そして、会議前にオーナーとふたりきりで話をした。僕は真剣にオーナーに熱く語った。
「100%上手くいくという保証は、確かにありません。でも、僕には誰にも負けない情熱があります。飲食の経験はありませんが、だからこそ誰よりも素直だ。そして、日本展開は息子さんと共同でやらせてくれませんか。息子さんは飲食のプロです。サポートしてくれたら心強い」
さらに、続けた。
「ただ、僕には経営の経験は多少はあります。そして息子さんと僕とは年齢も近い。仲もよいし相性もよい。息子さんにとっても海外展開は新たな成長の機会になるはずです。わたしはそのベストパートナーになれる」
最後にこう締めくくった。
「ゼロからの起業。タピオカミルクティーの開発。長い歴史のあるお茶文化に革命を起こした。オーナー、あなたは真の挑戦者です」