「世界全体を一つの原理のもとへと単純化する」

さきほど触れた牧野智和『自己啓発の時代』では、こうした情況から、現実、というよりこの世界全体を一つの原理のもとに単純化してくれるようなメッセージと、それを断定的に与えてくれる権威へのニーズの、現代における、かつてない高まりを看取しています(牧野前掲書73頁)。

この指摘は示唆的です。というのも、「世界全体を一つの原理のもとに単純化してくれるようなメッセージ」へのニーズの高まりは、ある意味で、近年における陰謀論に対するニーズの高まりとも相同関係にあるように思えるからです。というのも、陰謀論こそ「世界全体を一つの原理のもとへと単純化する」ニーズ(ここでは欲求または欲望)に支えられた、最たるものでしょうから。

アレックス・アベラ『ランド:世界を支配した研究所』(文藝春秋)
アレックス・アベラ『ランド:世界を支配した研究所』(文藝春秋)

単純化のニーズ。それはおそらく、アレックス・アベラの著作『合理の兵士:ランド研究所とアメリカ帝国の勃興[Soldiers of Reason:The RAND Corporation and the Rise of the American Empire]』(原著は2008年)を、同年に『ランド:世界を支配した研究所』という邦題で売り出したくなるような状況、そこで無視できないものとしてあるような、とあるニーズのことです。ここにある単純化を、理解の拙速さと解するだけでは見失われるであろう思い。――それは、透明性の希求です。何が何をして、どうなったのかを知ろうとする願望です。

要するに、陰謀論のニーズとは、不確実な謎ではなく確実な説明なのです。隠された秘密ではなく、知らなかった原理が求められているのです。まさしく、自己啓発さながら、「これさえあれば」、身近な困りごとや気になるニュースの原因がわかり、対策ができる。そういう知が欲されているのです。

「必勝法」か「裏ワザ」か

陰謀論者にすら、ある種の透明性への希求、つまり情報公開や討論参加などへの志向が認められるのではないでしょうか。「陰謀」への関心の高まりを、ただ個々人の病的心理と捉えて済ませる見方に対して、2010年代前半から異を唱えてきた人物もいます。フランスの経済学者で哲学者のフレデリック・ロルドンです。

とはいえ、その一連の議論は、陰謀論の煽動力や危険性を過小評価していると批判されてもいるようです。しかしながら、個別具体の陰謀が実在するか否かという二値的な議論に留まらず、人々が知りたい内容と、人々が知り得る内容の格差という状況にも焦点を当てる、ロルドンのような観点は、無視できないものでしょう。

それらは「真の敵」の妄想や「一発逆転」の夢想である以前に、何よりまず、単純化された「必勝法」の手引きなのです。そこで示される「勝利」のイメージが、派手な成り上がりなどではなく、運の良い逃げ切りや、ギリギリでの生き残り、つつましいスローライフなどであっても、です。もっとも、他人を出し抜くゲームの「必勝法」は、参加者たちに「裏ワザ」を教えて、行動を限定することかもしれませんが。