こうして1990年代以降の自己啓発書は、定型化された技法やプログラムによって、自己の内面を変革ないしはコントロールすることが可能である、と謳うようになります(なお、以上を記述するにあたって、牧野智和『自己啓発の時代』(2012年)と牧野智和「自己啓発」(『現代思想』2019年5月臨時増刊号所収)を主に参照させていただきました)。

牧野智和『自己啓発の時代』(勁草書房)
牧野智和『自己啓発の時代』(勁草書房)

実は、このほかにも色々な文脈があります。これから触れる「ポジティブ・シンキング」を擁する欧米の文脈だけではなく、日本の文脈だけでも多様です。

例えば橋本左内『啓発録』といった幕末の人生訓があったり(吉田松陰の遺著『留魂録』でも言及される左内はその政論でも知られています)、あるいは今日のCSR(企業の社会的責任)の文脈で参照されもする石田梅岩をはじめ、いわゆる「通俗道徳」の担い手と言えるであろう、様々な近世思想家の著述があったりもするようです(ちなみにこの「通俗道徳」を論じ、近世民衆思想をピックアップした代表的な思想史家が、安丸良夫です)。が、話が壮大になって収拾がつかなくなるため、日本での変遷はいったん結びます。

ドナルド・トランプのポジティブ・シンキング

さて、現代において「自己啓発」書を愛読しており、なおかつ、そこに記されたメソッドを強烈な仕方で実践してみせた著名人として、私たちはドナルド・トランプを挙げることができるかと思います。

長年マスメディアを騒がせてきた、文字通りの傍若無人な振る舞いは、ある意味で内面の徹底的な(反)コントロール、つまりは内心の徹底的な野放し(のポーズ)に貫かれていたようにも、遠目からは映ります(実際のところが、どうであったのかは、これからいっそう検証されていくことでしょう)。

トランプは若い頃から、ポジティブ・シンキングの唱道者で毀誉褒貶の大きい牧師、ノーマン・ヴィンセント・ピールに学び、著作『積極的考え方の力』(原著は1952年)を熱心に愛読してきたとされます。ポジティブ・シンキングとは、乱暴に一言でまとめれば「強い思考やイマジネーションはものごとの原因となる」という考え方です。

ノーマン・ヴィンセント・ピール『積極的考え方の力』(ダイヤモンド社)
ノーマン・ヴィンセント・ピール『積極的考え方の力』(ダイヤモンド社)

身も蓋もなく言うと、強く願えば、それはいつか必ず実現するということです。それだけならありがちな根性論にも思えますが、ここに具体的な自己暗示の方法などが混ざっていくと、何でもポジティブに捉えて、「願いに近づいてよかった」と考えるように強いる、悪しき風潮の下地にもなります(ひょっとすると、アメリカ版の「通俗道徳」を考える上で、重要な人物のひとりがピールなのかもしれません)。

紛らわしい用語などがあるので、補足します。ポジティブ・シンキングは、今日の心理学とはあまり関係がありません。それどころか、ポジティブ心理学の提唱者のマーティン・セリグマンは、(各々の着想のルーツには類似を多少なりと認めつつも)ピールの著作を批判しています。

むしろ、ピールの著述と関連するのは『思考は現実化する』という邦題の著作(原著は1937年)で知られるナポレオン・ヒルなどの、いわゆる成功哲学です。これらは一般に、19世紀アメリカのニューソート運動(ある種のスピリチュアリズム)の影響下にあるものとされます。例えば一般に「引き寄せの法則(Law of Atruction)」といったアイディアが知られていると思いますが、その淵源はこの思潮にあるようです。