「闇の自己啓発」という試み

もちろん、そうした試みを共にうまく続けるには、自前の世界像で他者を押しつぶさないように折り合いをつけるとか、職業規範とは別の倫理で適宜に自身の野放図を律するとか、そういう徳が、多かれ少なかれ求められることになるでしょう。衝動や白昼夢を手放しにすると紋切型に陥りがちですが、それだけでは大変な破綻が招かれる場合もあります。

江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁『闇の自己啓発』(早川書房)
江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁『闇の自己啓発』(早川書房)

しかし、各々が「なりたい」何かを、共に探求するとは、そうした危機をうまく切り抜ける営為を指すようにも思うのです。異なる徳の持ち主が一同に「会」し、適度にぶつかり、すれ違いながら話を「回」すこと。それは原理や真実やモデルを提示する権威(送り手)とそれを鵜呑みにするか吐き捨てるしか選べない読者(受け手)という在りようとは、異なる何かをつくるための試みです。

字面にあやかりながら言えば、各々の「転回」の「機会」、いわば「神回」が到来する余地をつくることが、共に「会読」や「回読」という形で、私たちが「集会」を試みる際の、ひとつの大切な動機なのでしょう。

このようなメンタリティ、そして実践を言い表し、より洗練させていくために、私たちはこんな造語を用いてみました。――すなわち、「闇の自己啓発」。その試みは、まだ「普請中」です。

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