勉強ができる人は、生まれつき才能に恵まれた人ではありません。そうではなく、自分がもっとも楽な方法で勉強ができる人のことなのです。

逆にいうと、どんな人でも自分なりの勉強法を見出すことができれば、確実に結果を出せます。

勉強は「才能」ではなく「回数」

わたしが、読むことを軸にした勉強法を推奨すると、「もともと文章の要旨を掴む才能があるのでは?」といわれることがあります。

でもわたしは、「文章に意味さえあれば、どんなに難解でも、誰もが必ず理解できる」と考えています。

なぜそう言い切れるのか?

それは、どれだけ難しいと感じる文章でも、10回、20回と繰り返し読むことで、必ず要旨を見つけ出せるからです。

もちろん、難解な専門用語が多い文章の場合は、何度読んでも理解できないかもしれません。その場合は、専門用語の一つひとつをていねいに説明している別の基本書を先に読めば、やがて文意を理解することができるでしょう。

つまり、才能ではなく「回数」の問題なのです。

難解な文章をあっさり理解するような人がいても、そこには、これまで文章を相当程度読んできた経験によるちがいがあるだけです。すぐに理解できる人は、おそらく背景知識を得るための膨大な読書を積み重ねてきたのでしょう。

信州大学特任准教授の山口真由さん
撮影=榎本壯三
信州大学特任准教授の山口真由さん

「それって生育環境のちがいでは?」

そう思う人もいるかもしれません。たしかに環境要因はあるものの、わたしは読むことを軸にした方法は、汎用性が高いと考えています。

そして、大人には経験や意思の力があり、焦点を絞った勉強もできます。たとえ何歳であっても、その時点から回数を重ねていけばいいのです。

むしろ、「これまでの経験があるから理解できるのだ」と考えることで、人生を変える一歩を踏み出せるのだと思います。

すべての勉強の基本は「国語力」にある

わたしは、すべての勉強の基本は「国語力」にあると考えています。ここでの国語力は、インプットのための「読解力」と、アウトプットのための「表現力」を指します。

とりわけ読解力は、すべての勉強における最重要要素です。

なぜ、読解力があるといいのでしょうか? その理由は、文章を読んだときに、次のことを明確に掴めるからです。

・書いた人はなにがいいたいのか?
・なにが問われているのか?

個人的な経験では、大学受験はもとより、司法試験やロー・スクールの試験でも、国語力が結果を大きく左右すると感じました。