ルールを受け入れて染まることでゲームに参加できた時代

飲めない若手でも酒を飲めるように「鍛えられ」、吸わないけれどもつきあいでタバコ1、2本はふかせるようになり、上司に連れられてゴルフ場の芝の上へデビューする。男性でもそうやって「一人前になる」なんてのが常識とされた。女であろうが男であろうが、そういうルールを受け入れて染まらないと、そもそもゲームに参加できなかった。

そうやって女性も、「女の割にやるじゃないか」と閉鎖的で排他的な男性ホモソーシャル組織に「入れていただく」ことが必要だった。女だけれど「名誉男性」として仲間入りさせてもらうことで、やっと競争チケットを一枚だけ手にできる、そんな時代だったのだ。

名誉男性の悲しき処世術

ミレニアル世代やその下のZ世代にとって、アルコールは注意すべき不健康な習慣だし、タバコなんて言語道断の前世紀の遺物で、ゴルフは何が楽しいのか意味不明。そもそもライフスタイルとして拒否感が先立つ。でもそういうところでヒソヒソと陰口が叩かれ、何かが決定されるのだから女性もそこへ積極的に食らいついていかないとダメよ、と言うのなら、まずなぜそんな偏って不健康な男性ホモソーシャル組織が前提なんですか、なぜそこを変えないんですか、と澄んだ瞳で聞かれても仕方ない。

「変えられなかったのよ」と、「名誉男性」たちは言うだろう。「もちろん、変えようと思って始めたのよ。変えるのは自分だと思った。でも変えられるほど偉くなるためには、まずその中に入っていかなきゃいけなかった」。そう言葉をしぼり出すだろう。

私たちは、彼女らを責めることなど毛頭できない。そういう時代であり、そういう社会を生き残り、必死にしがみついたピラミッドを登って後進のために道を拓いてくれた、優れた女性たちだ。「飲み会を断らない女」は、その時代の悲しき処世術でもあったのだ。

だが社会はそんな処世術を否定し、脱ぎ捨てようとしている。社会は下から育ち、新陳代謝する。